2026年8月現在、スペイン・ラ・リーガのレアル・ソシエダに所属し、日本代表の顔としても躍動を続ける久保建英選手。
夏のワールドカップ北中米大会では、オランダ戦で左ひざを負傷するというアクシデントに見舞われ、思わず息を呑んだファンの方も多かったことでしょう。
一部のスペイン紙では夏の移籍に関する話題も飛び交っていますが、まずはしっかりと怪我を完治させ、あのワクワクするようなプレーを再び見せてほしいと願うばかりです。
さて、今や日本サッカー界の至宝となった久保選手ですが、圧倒的な才能の裏側にどのような家庭環境や教育方針があったのか、詳しくご存知の方は意外と少ないかもしれません。
今回は、彼が歩んできたルーツやご両親の支え、そして日本代表デビューを果たすまでの道のりを、一人の大人としての視点を交えながら迫っていきます。
基本プロフィールと「読めない」と言われる名前の由来:川崎市麻生区出身の背景

まずは、久保選手の基本的なプロフィールから整理しておきましょう。
| 項目 | 内容詳細 |
|---|---|
| 氏名 | 久保 建英(くぼ たけふさ) |
| 生年月日 | 2001年6月4日 |
| 出身地 | 神奈川県川崎市麻生区 |
| 身長・体重 | 173〜174cm程度 / 67〜69kg程度 |
| 利き足 | 左足 |
久保選手は、多摩丘陵の緑豊かな住宅地が広がる神奈川県川崎市麻生区の出身です。隣接する東京都稲城市や町田市とも生活圏が近く、この恵まれた地理的条件が後のクラブチーム選びにも良い影響を与えていくことになります。
そして、彼の話題になるたびに挙がるのが「名前の読み方が難しい」という声です。「建」を「けん」、「英」を「えい」と音読みして「けんえい」と誤読してしまう人も少なくありません。
実は「たけ」「ふさ」という読み方は、常用的な訓読みから外れた「名乗り読み(人名訓)」にあたるため、初見で戸惑うのも当然の反応なのです。

難読な名前や「くん」付けで呼ばれる幼少期のイメージから、大人になってもどこか子ども扱いしてしまうファンもいるかもしれません。しかし、プロ契約を機に本名での呼称を求めたというエピソードからは、ひとりの独立したプロフェッショナルとしての確固たる自覚が伝わってきます。
「自分はもう子ども扱いされる年齢ではない」という彼なりの決意表明のようにも響き、他者の評価に流されないその頼もしさに、思わず感心してしまいます。
家族構成とルーツ:和歌山出身の父親・建史氏の本やミサワホームでの経歴に学ぶ教育方針

次に、久保選手を長年支えてきたご家族について見ていきましょう。
久保家は、お父様の建史さん、お母様、ご本人、そして6歳下の弟・瑛史さんの4人家族です。父親の建史さんは和歌山県出身で、筑波大学体育専門学群のサッカー部で汗を流した経歴をお持ちです。
大学卒業後は大手住宅メーカーのミサワホームに入社し、管理職を務めながら、2012年に独自の教育論をまとめた著書を出版されました。弟の瑛史さんも兄の背中を追いかけ、2025年にはセレッソ大阪への加入が報じられるなど、サッカー一家としての絆の強さがうかがえます。
ここで非常に興味深いのが、ご両親の「長男でありながら、あえて次男のように育てる」という独特の教育方針です。

「長男だからしっかりしなさい」と、無意識のうちに子供へ過度なプレッシャーをかけてしまう家庭も少なくないでしょう。しかし、「あえて次男のように育てる」という型にはめない独自の方針こそが、彼のあの自由で想像力豊かなプレースタイルを育んだ最大の理由なのだと深く納得してしまいます。
大人の理想を無理に押し付けず、子供の持ち味をありのままに伸ばそうとするご両親の懐の深さには、人を育てる上での大切なヒントが隠されていると感じずにはいられません。
幼い頃の環境と何歳から始めたクラブチーム遍歴:稲城市坂浜から百合ヶ丘、パーシモンへ

久保選手が3歳から通ったのは、川崎市麻生区にある「風の谷幼稚園」です。
制服や通園バスを持たず、「たくさん歩く」「体を動かす」ことを重視するユニークな方針で知られています。家庭内でもテレビやソファを置かず、外では裸足で遊ばせるなど、自主性を育む環境づくりが徹底されていました。
彼がサッカーボールを蹴り始めたのは2歳頃のこと。年間350日近く、近所の公園で父親と一緒に朝練に励み、3歳で東京都稲城市の「坂浜サッカークラブ」に加入して本格的な活動をスタートさせます。
その後も、地元を拠点とする「FCパーシモン」や「百合ヶ丘子供サッカークラブ」といった地域の少年団で、泥にまみれながら着実に技術を磨いていきました。

エリート教育と聞くと、最新の設備が整った特別な施設に幼い頃から通わせるような、少し近寄りがたい世界をイメージしてしまいがちです。実際には、泥だらけになって外遊びをし、父親と近所の公園で毎日ボールを蹴るという、とても温かく地に足のついた日常の積み重ねだったことに心温まるものを感じます。
世界で活躍する選手の原点が、決して手の届かない特別なものではなく、地域の身近なクラブや親子の触れ合いの中にあったという事実に、大きな勇気をもらえます。
小学時代から最終学歴までの歩み:西生田小学校・中学校、和光から第一学院へ

小学生にあがる頃からの彼の歩みは、まさに目まぐるしい展開を見せます。その激動の軌跡を時系列で振り返ってみましょう。
- 小学3年生: 日本で開催されたFCバルセロナキャンプでMVPを獲得。
- 10歳: 母親と弟を伴ってスペインへ渡り、FCバルセロナのカンテラ(下部組織)に入団。
- 中学時代: クラブ側の規定違反問題により公式戦出場停止となり、苦渋の帰国を決断。川崎市立西生田中学校へ編入し、FC東京の下部組織へ合流。
- 高校時代: 全日制の和光高等学校へ進学後、Jリーグでの出場機会激増に伴い、サッカーに専念するため通信制の第一学院高等学校へ転校し卒業。

小学3年生でのMVP獲得を機に、10歳でスペインへ渡るという決断力には驚かされるばかりです。しかし中学生になった彼を待っていたのは、大人の事情による「公式戦出場停止」というあまりにも理不尽な壁でした。
夢の舞台から大人の都合で理不尽に追い出された帰国劇に対し、当時は「これで彼のキャリアも狂ってしまった」と不憫に思う声も少なくありませんでした。それでも、強烈な挫折を言い訳にせず、国内で泥臭く自らを磨き直して力強く這い上がってきた精神力にこそ、彼の本当の凄みがあります。
社会に出れば、自分の力ではどうにもならない理不尽な現実に直面することは何度もあります。そこで決して腐らず、自らの足で立つ場所を選び取っていく生き様は、大人の私たちにも大切なことを教えてくれます。
プロ入りから日本代表デビューへ:18歳での歴史的瞬間とこれからの期待

帰国後の彼はFC東京で躍動し、高校在学中の2017年に16歳という若さでプロ契約を結びます。
出場機会を求めて横浜F・マリノスへ期限付き移籍を経験するなど、貪欲にステップアップを果たしていきました。そして2019年6月9日、18歳5日という歴代2番目の若さで日本代表A代表デビューを飾ります。
その直後には名門レアル・マドリードへの移籍が発表され、世界中のサッカーファンを熱狂の渦に巻き込みました。
若くしてメディアに注目されすぎると、周囲の過剰な期待や重圧に潰されてしまうのではないかとハラハラしてしまうものです。しかし彼は、18歳での代表デビューや名門クラブへの移籍という大舞台すら純粋に楽しみ、自らの足で道を切り拓いていく逞しさを常に私たちに見せてくれます。
ピッチ上で見せるふてぶてしいほどの落ち着きは、海を越え、幾度もの挫折を自らの力で乗り越えてきた絶対的な自信の表れなのでしょう。

まとめ:久保建英の歩みが教えてくれるもの
ここまで、久保建英選手の生い立ちやご家族のサポート、そして日本代表デビューまでの道のりを振り返ってきました。
テレビのない環境でのびのびと育ち、和歌山にルーツを持つお父様との朝練で泥だらけになった幼少期。世界のビッグクラブでの挫折を味わいながらも、見事に日本のエースへと成長を遂げた軌跡は、まるで一本の映画を見ているようです。
才能に恵まれた特別な存在だから成功したのだと、どこか遠い世界の話のように片付けてしまうこともできるでしょう。しかしその圧倒的な実力の裏側には、ご両親の温かいサポートと、どんな逆境にも屈しない彼自身の泥臭い努力が隠されていたのです。
今夏の怪我の具合はとても気がかりですが、これまで数々の困難をはねのけてきた彼のことですから、きっとまたひと回り大きくなってピッチに帰ってきてくれるはずです。
世界を舞台に戦い続ける彼の挑戦を、これからもひとりのファンとして、そして同じ時代を生きる大人として、温かく見守っていきたいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
☆おすすめ記事☆




