スペインの名門レアル・ソシエダで攻撃の中心を担い、日本代表としても欠かせない存在となっている久保建英選手。
卓越したテクニックでファンを魅了する彼ですが、その圧倒的な実力の裏には、多くの方が驚く「原点」が隠されています。
「いったいいつからスペインにいるのだろう」「なぜあれほど流暢に現地の言葉を話せるのだろう」と、ふと疑問に思ったことはありませんか。
実は、彼がたった一人で海を渡り、過酷な海外の環境に身を投じたのは、まだ10歳という幼い頃でした。
今回は、彼がいつから海外挑戦を始めたのか、その語学力や現地での評価、そして厳しいリーグ戦で刻んできた戦績について、じっくりと紐解いていきます。
10歳で海を渡った覚悟:名門ラマシアへの「移籍」と理不尽な挫折

久保選手と世界的名門クラブとの出会いは、彼が小学3年生だった2009年の夏にまで遡ります。
国内で開催されたFCバルセロナキャンプでMVPを獲得した彼は、翌年の国際大会でも見事にMVPに輝きました。
| 時期 | 所属・主な出来事 |
|---|---|
| 2009年8月 | 国内のFCバルセロナキャンプでMVP獲得 |
| 2010年4月 | スクール選抜としてベルギーの国際大会でMVP獲得 |
| 2011年8月 | FCバルセロナの下部組織(ラマシア)入団テストに合格、渡欧 |
| 2013-14シーズン | 地中海カップU-12トーナメントで得点王とMVPをダブル受賞 |
| 2015年3月 | クラブの規約違反問題により公式戦出場不可となり、帰国 |
「いつから海外へ行ったのか」という疑問の答えですが、彼は2011年8月、10歳の時にバルセロナの下部組織である「ラマシア」へと渡っています。

ネット上では「サッカー留学」と検索されることも多いですが、一般的な語学留学などとは全く異なります。名門クラブの育成組織へ「移籍」するという、非常にシビアな勝負の世界へ足を踏み入れたのですよね。
ラマシアでは、現在トップレベルで活躍するアンス・ファティ選手やエリック・ガルシア選手といった「バルサ同期」たちと深い絆を築き上げました。
しかし、順調に見えたスペインでの日々は、クラブ側の外国人選手獲得に関する規定違反という理不尽な形で突然終わりを迎えます。公式戦に出場できない苦渋の決断の末、2015年に日本への帰国を余儀なくされてしまいました。

まだ10歳の子どもが異国の地へ渡るなんて、親の過剰な期待ではないかと感じる方もいるかもしれません。しかし、大人の事情で夢の舞台を奪われるという強烈な挫折を味わいながらも、決して腐ることなくプロへの道を自ら切り拓いた不屈の精神に、一人の大人として深く胸を打たれます。
「生意気」という声の裏側:言葉の壁を越えたサバイバルな現地化

久保選手について多くの方が驚かされるのが、その卓越した語学力ですよね。
インタビューなどで見せる見事なスペイン語に、「彼は何ヶ国語話せるのだろう?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は、スペインに渡る前の彼はスペイン語をほとんど話せなかったそうです。文法を机の上で学ぶのではなく、「耳で聞いて真似をして、実際に使いながら覚えていく」というサバイバルな環境で言葉を身につけていきました。

驚くべきことに、標準スペイン語だけでなく、カタルーニャ地方の公用語である「カタルーニャ語」をも完璧に使いこなします。プロ入り後には英語も習得し、場面に応じて自在に切り替えているそうです。
SNS上では、自分の名前をスペイン語のイントネーションで発音したり、現地のスラングを使って砕けた話し方をする姿が話題になりました。

「日本人なのに日本語のイントネーションを忘れたりするのは、少し生意気に見える」と違和感を覚える方も中にはいるようです。
「特別な施設で英才教育を受けたのだから、何ヶ国語も話せて当然だろう」と冷めた目で見てしまう気持ちも少しわかります。しかし、現地にすっかり溶け込んでいるその姿は、言葉を覚えなければパスをもらえないという生き残りをかけた環境下で、必死に食らいついてきた泥臭い努力の結晶にほかならないと私は感じています。
幾多のレンタル移籍を乗り越えて:スペインの地で証明し続ける価値

18歳で念願のレアル・マドリードへ完全移籍を果たした後も、彼の道のりは決して平坦なものではありませんでした。
強豪クラブの厚い選手層に阻まれ、マジョルカ、ビジャレアル、へタフェと、何度も期限付きのレンタル移籍を経験しながら武者修行を重ねていきました。
そして2022年、レアル・ソシエダへの完全移籍を機に彼の才能は一気に開花します。移籍1年目からキャリアハイとなるリーグ戦9ゴールを記録し、クラブのチャンピオンズリーグ出場に大きく貢献しました。
名門クラブへ入団したもののレンタル移籍を繰り返す姿を見て、「結局トップレベルでは通用しなかったのだろう」と手厳しい見方をするサッカーファンもいましたよね。それでも、フィジカルの不利を戦術眼で補い、与えられた場所で結果を残すことで自らの価値を証明し続けたその逞しさに、一流のプロフェッショナルとしての確かな風格を感じずにはいられません。
まとめ:言葉と実力で道を切り拓く久保建英の現在地
ここまで、久保建英選手がいつから海外挑戦を始め、どのような道のりを歩んできたのかを振り返ってきました。
わずか10歳で名門の門を叩き、言葉も通じない環境から這い上がってきた彼の歩みは、私たちが想像する以上に過酷なものだったに違いありません。
見事なスペイン語の習得や、発音に至るまでの深い「現地化」は、彼がどれだけ真剣に目の前の仲間たちと向き合ってきたかを物語っていますよね。
恵まれた才能を持ちながらも、挫折や怪我という壁に何度もぶつかり、そのたびに力強く立ち上がってきた彼の姿は、多くの人に勇気を与えてくれます。
今後も厳しい世界での戦いが続きますが、彼ならば幾多の困難も軽やかに乗り越え、さらに大きな感動を私たちに届けてくれることを、ひとりのファンとして温かく見守っていきたいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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