車いすテニス界を牽引する若き王者、小田凱人(おだ ときと)選手。
圧倒的なプレーヤーとしての実力と、見る人を惹きつける無邪気な笑顔がとても魅力的ですよね。
そんな彼の輝かしい姿をテレビなどで目にするたび、「そもそも、どうして車いすを使うようになったのだろう?」「足の怪我や病気なのかな?」と気になったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
華やかな活躍の裏側には、幼い少年が背負うにはあまりにも過酷な、病との長くて険しい闘いの日々があったそうです。
今回は、彼が乗り越えてきた病名や手術の経緯、そしてネット上で時折話題になる「実はご自身の足で歩けるの?」という疑問について、2025年12月時点の情報を基にわかりやすく紐解いていきます。
1. プロを夢見たサッカー少年の日常を一変させた「骨肉腫」の発症

小田凱人選手は、もともと愛知県一宮市でプロ選手を本気で目指すほどのサッカー少年だったそうです。
足の速さが自慢で、毎日暗くなるまでボールを追いかける活発な日々を送っていました。
ここで、彼の誕生から病気の発症に至るまでの経緯を簡単に振り返ってみましょう。
- 2006年:愛知県一宮市に誕生
- 幼少期〜:プロを目指してサッカーに打ち込む活発な少年時代
- 9歳(2015年頃):サッカーの練習中、左足の付け根に激しい痛みを覚える
- 同年:病院での精密検査の結果、「骨肉腫」と診断される
骨肉腫とは、骨に発生する悪性腫瘍(がん)の一種です。
とくに10代の成長期の子どもに多く見られる非常に珍しい病気だと言われています。
「なぜ自分がこんな目に遭うのか」と、当時まだ小学生だった彼にとって、その宣告は想像を絶するほどの絶望だったに違いありません。
大好きなスポーツを奪われ、得体の知れない病と向き合わなければならない恐怖は、私のような大人の想像をはるかに超える重圧だったのではないかと胸が締め付けられます。
2. 車いす生活の直接的な要因:左足の人工関節手術と長期の入院生活

診断を受けた後、小田選手はすぐに名古屋大学病院へと入院しました。
まずは抗がん剤を用いた治療で腫瘍を小さくし、その後に患部を取り除くための大掛かりな手術が行われたそうです。
現在、彼が車いすでの生活を送っている直接的な理由は、このときの手術内容に深く関係しています。
命を守るための苦渋の決断として、腫瘍のあった左足の股関節から大腿骨(太ももの骨)の一部までを切除し、代わりに人工関節を埋め込む必要があったとのことです。
手術自体は無事に成功しましたが、広範囲の骨や筋肉を失った影響は大きく、左足の自由な動きや筋力は著しく低下してしまいました。
これが、彼が日常生活やスポーツにおいて車いすを必要とするようになった経緯です。
約9ヶ月にも及ぶ長い入院生活の中で、強烈な抗がん剤の副作用に耐えながら、夢だったサッカーを完全に手放さざるを得なかった当時の悔しさ。
その深い悲しみをどうやって乗り越え、前を向くことができたのか、彼の内面の強さにはただただ感服するばかりです。
3. 続く闘病の試練:肺への転移と11歳・13歳での再発を乗り越えて

大手術を乗り越え、ようやく光が見えたかに思えた小田選手ですが、過酷な試練はこれで終わりませんでした。
一部メディアの報道によると、骨肉腫は他の部位へ転移しやすいという厄介な特徴があり、彼の場合も肺への転移が見つかったそうです。
これは一般的な「肺がん」が新たに発生したわけではなく、あくまで足の骨肉腫の細胞が肺に飛んでしまった「転移性腫瘍」を意味します。
この肺の腫瘍を取り除くためにも、二度にわたる手術を経験することになりました。
さらに驚くべきことに、病魔は退院後も幾度となく彼を苦しめたそうです。
なんと11歳の時と、13歳の時にもがんが再発し、そのたびに追加の手術や治療を余儀なくされました。
骨肉腫の再発率は決して低くないと言われていますが、その確率の壁に何度も何度も立ち向かい、打ち勝ってきた生命力には驚かされます。
育ち盛りの多感な時期に、幾度も手術台に上がる恐怖を克服してきた精神力が、現在のコート上で見せる圧倒的な勝負強さの根源になっているのだと私は見ています。
4. 「実は歩行可能」という噂の真相:杖と車いすを使い分ける理由

さて、ここからはインターネット上などでよく見かける「小田選手は本当は自分の足で歩けるのでは?」「テレビで立っている姿を見た」という噂の真相に迫ります。
結論からお伝えすると、この噂は紛れもない事実です。
現在の小田選手の身体的な状況と移動手段について、分かりやすく表に整理してみました。
| 行動の状況 | 身体の状態・使用する道具 | 理由・背景 |
|---|---|---|
| 自力で立つこと | 可能(自らの足で立つことができる) | リハビリの成果により立位を保持できる |
| 短い距離の移動 | 杖を使用して自力で歩行する | 日常生活におけるちょっとした移動に対応 |
| 長距離移動・スポーツ | 車いすを使用する | 人工関節への過度な負担と破損を防ぐため |
退院直後からの血の滲むような懸命なリハビリテーションを経て、彼は杖を使った歩行を見事に習得しました。
では、自力で歩くことができるにもかかわらず、なぜ普段の生活やテニスの試合では車いすに乗っているのでしょうか。
その最大の理由は、左足に入っている大切な「人工関節」を守るためだそうです。

無理に自分の足だけで歩き続けたり、テニスのような激しい動きを直接足で受け止めたりすると、人工関節が耐えきれずに破損してしまう危険が伴います。
「歩けるのにあえて車いすを使っている」というよりも、「アスリートとして自らの体を大切に守り、長く競技を続けるための極めて冷静で賢明な選択」をしているのですね。

自分の身体の限界とリスクを正確に把握し、感情に流されずに最適な道具を選択するそのプロフェッショナルな姿勢には、大人顔負けの凄みを感じずにはいられません。
まとめ:過酷な病の経験を「強み」へと昇華させた不屈の精神力
今回は、小田凱人選手が車いす生活に至った背景と、骨肉腫という病との闘いの軌跡を振り返りました。
9歳でがんの告知を受け、左足の自由を大きく奪われ、度重なる肺への転移や再発の手術を乗り越えてきた道のり。
普通であれば心が折れ、運命を呪ってしまってもおかしくないほどの過酷な経験です。
しかし、彼はこれを「病気も障害も、自分だけの強みに変えた」と力強く語り、10歳で出会った車いすテニスを通じて見事に世界の頂点へと駆け上がりました。
2025年末の紅白歌合戦においてゲスト審査員に選出されたというニュースも、単なるスポーツの実績だけでなく、彼の歩んできた不屈の人生そのものが、日本中の人々に深い感動と勇気を与えている何よりの証拠でしょう。
現在は再発の兆候もなく精力的にプレーを続けているとのことですが、彼の背負ってきた壮絶な背景を知ることで、コート上で見せるあの力強いガッツポーズが、より一層尊く、美しく輝いて見えてきますね。
過酷な運命を自らの力で切り拓き、常に新しい景色を見せ続けてくれる若き王者の歩みを、これからも全力で応援していきたいと心から思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
おくやま管理人の「有為之おくやま」です。
記事をまとめながら、ただただ圧倒されました。 9歳でがん告知、人工関節、そして度重なる再発…。 大人でも心が折れてしまいそうな試練を、「強み」に変えて世界一になるなんて。
「歩けるけれど、選手として長く戦うために車椅子を選ぶ」。 その冷静なプロ意識は、19歳とは思えないほど成熟しています。 紅白の審査員席に座る彼は、間違いなく誰よりも輝いて見えるはずです!
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