京本大我の歌い方が嫌いと言われる理由。その歌クセの正体と深い訳

SixTONESのメインボーカルとして、そして帝国劇場の舞台に立つミュージカル俳優として、圧倒的な存在感を放つ京本大我さん。俳優・京本政樹さんを父に持つサラブレッドでありながら、その実力で確固たる地位を築き上げてきました。

彼の歌声は、まさしくグループの宝。しかし、その唯一無二の歌声に対し、時に真逆の評価が下されることがあります。彼の歌の「好き」と「嫌い」がなぜ共存するのか、その不思議な現象の核心に迫ります。

目次

なぜ?「歌上手いけど嫌い」と囁かれる理由

X(旧Twitter)に、こんな象徴的な一言が投稿されていました。

京本大我は歌上手いけど、歌い方が嫌い(引用:Xより)

「上手い」と誰もが認める彼の歌が、なぜ一部で「嫌い」と感じられてしまうのか。その理由は、彼の歌い方の「クセ」にあります。多くの声として挙がるのが、「ビブラートの多さ」と「ミュージカル調の表現」です。

例えば、彼がカバーした宇多田ヒカルさんの名曲『First Love』では、「ビブラートが過剰でくどい」といった意見が見られました。また、音楽番組でのパフォーマンス後には、「上手いのはわかるけど、歌い方が気になってしまう」という声がSNSに投稿されることもあります。

この言葉に、なぜか「わかる…」と頷いてしまった経験はありませんか?

これは、J-POP特有のストレートな歌唱法に慣れた耳には、彼のドラマチックで抑揚の効いた歌い方が、時に「やりすぎ」に聞こえてしまう現象です。特に、感情を乗せて声を震わせるビブラートは、ミュージカルでは最大の武器ですが、ポップスの世界では好みが分かれるポイント。これが「上手いのに勿体ない」という、愛情のこもった批判に繋がっているのです。

全ての答えは帝国劇場に。彼の「歌クセ」の正体

では、なぜ彼の歌は、良くも悪くも「ミュージカル調」なのでしょうか。その答えは、彼のキャリアそのものにあります。

彼の歌声は、J-POPのスタジオではなく、日本最高峰の舞台である帝国劇場で鍛え上げられました。伝説のミュージカル『エリザベート』で、ジャニー喜多川氏の推薦を受け、皇太子ルドルフという大役を掴み取ったのです。

ミュージカルの世界では、マイクに頼らず、劇場の一番後ろの席まで感情を届けるための、特殊な発声法と表現力が求められます。一つ一つの言葉に意味を乗せ、声の震え一つで絶望や喜びを表現する。彼が使うビブラートや独特の節回しは、この過酷な世界で生き抜くために身につけた、プロフェッショナルの技術であり、彼の魂そのものなのです。

つまり、彼の歌い方の「クセ」は、欠点なのではなく、彼が歩んできた道のりの「証」。ポップスという畑に、ミュージカルという異文化を持ち込むことで、彼はSixTONESの音楽に誰にも真似できない深みと彩りを与えています。

「嫌い」は期待の裏返し。進化を続ける京本大我の歌声

「歌い方が嫌い」という言葉の裏には、「あなたの実力はこんなものじゃないはず」「もっと良くなるはず」という、ファンならではの期待が隠れていることがほとんどです。

そして、その声に彼自身も真摯に向き合っています。近年、「京本大我の歌い方が変わった」「以前より聴きやすくなった」という声が増えているのは、彼が驕ることなく、常に独学やボイストレーニングで自身の歌を進化させ続けているからに他なりません。

ミュージカルで培った表現力という武器を大切にしながら、どうすればJ-POPとしてより多くの人に届けられるか。彼は今、その答えを探す旅の真っ最中なのです。

その「クセ」は、彼の努力と経験の結晶。最初は違和感があったとしても、その背景を知れば、きっと彼の歌がもっと愛おしく、そして深く聴こえてくるはずです。彼の歌声は、これからも変化し、進化し続けるでしょう。その旅路を一緒に楽しむことこそ、彼の音楽を味わう最高の醍醐味なのかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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