「OKバブリー!」の決めゼリフで一世を風靡した、お笑いタレントの平野ノラさん。
現在はバラエティ番組だけでなく、母として、また情報番組のコメンテーターとしても活躍の場を広げています。
そんな彼女ですが、実は学生時代にバレーボールで全国制覇まで成し遂げた、輝かしい経歴の持ち主だったことをご存知でしょうか。
今回は、平野ノラさんの知られざるアスリートとしての一面と、その経験が今の彼女にどう活かされているのかを、メディア情報や本人のSNS投稿を元に紐解いていきます。
原点は「東金町ビーバーズ」!小学5年で全国優勝

平野ノラさんのバレーボール人生は、小学3年生の時に始まりました。
お母さんがママさんバレーをしていた影響を受け、地元のクラブチーム「東金町ビーバーズ」に入部します。
ここで基礎を徹底的に叩き込まれ、なんと小学5年生の時には全国大会で優勝。早くから「日本一」の景色を見ていたとは驚きです。
この強烈な体験が彼女のバレー熱に火をつけ、中学進学への道筋を作りました。
強豪・修徳高校で鬼キャプテン!バレー漬けの青春時代

中学は、バレーの強豪校として知られる葛飾区立金町中学校へ。
ここで早くもチームのキャプテンを務め、関東大会で2位という素晴らしい成績を収めます。
しかし、その練習は想像を絶する厳しさだったようで、ご本人が後に「楽しいとかじゃなかった」「スポーツ刈りで毎日練習漬け」と語るほど、過酷な日々だったようです。
高校はさらにレベルを上げ、バレー推薦で修徳高校(しゅうとくこうこう)に進学。
驚くことに、ここでもキャプテンを任され、小学校から数えて通算9年間もチームを率いる役割を担っていました。
ポジションは主にライト(右側のアタッカー)で、チームの攻撃の要として活躍。当時の修徳高校はまさに黄金期で、平野ノラさんも主力メンバーとして、インターハイか春高バレーかは定かではありませんが、チームとして「全国優勝」を経験しています。
ご自身のX(旧Twitter)のプロフィール欄にも「バレー歴10年→東金町ビーバーズ・金町中学・修徳高校」と記しており、この経歴が今も大きな誇りであることが伝わってきますね。
ブレイクを支えた「折れない心」

約10年間にわたる過酷なバレーボール経験は、もちろん過去の栄光ではありません。
今の平野ノラさんを支える、太い精神的な柱になっています。
特に9年間もキャプテンを務めあげた経験は、チームをまとめる統率力や、プレッシャーに打ち勝つ強靭な精神力を育てました。
「バレーの厳しい練習が、芸能界の忍耐力を養った」
ご本人がインタビューでそう語るように、ブレイク前の長い下積み時代を耐え抜くことができたのも、あの頃に培った「諦めない精神」があったからこそ。
厳しい芸能界で生き残るためのタフさは、この青春時代にすでに完成していたのかもしれません。
今もアツい!「KANORA JAPAN」発足と協会の評議員就任

芸人として成功し、母となった今も、彼女のバレー愛は冷めるどころか、ますます燃え上がっています。
2023年頃からは、なんと日本バレーボール協会の評議員に就任。
さらに驚くことに、2024年には自ら芸能界バレーボール部「KANORA JAPAN」を立ち上げました。

元日本代表の狩野舞子さんや迫田さおりさん、芸人仲間などを集め、月1回のペースで練習に励んでいるそうです。30年ぶりにボールに触る人から元プロまで、まさに「バレー愛」で繋がるチームです。
SNSではパリオリンピックの日本代表を全力で応援したり、新しく始まる「SVリーグ」のPRをしたりと、バレー界全体を本気で盛り上げようとする姿が印象的です。
ご本人が「今が一番バレーボールを楽しんでる」と語るように、彼女の人生にとってバレーボールはなくてはならない存在なのです。
まとめ:バブリーの裏に隠された「アスリート魂」
平野ノラさんのバレーボール経歴は、学生時代の輝かしい実績だけにとどまりません。
下積み時代を支えた忍耐力、そして現在、協会評議員や「KANORA JAPAN」代表としてバレー界に貢献する情熱。そのすべてが、あの過酷な練習の日々から繋がっています。
「OKバブリー!」の華やかな姿の裏には、筋金入りの「アスリート魂」が隠されていました。
彼女のSNSでバレーについて熱く語る姿を見れば、そのギャップに、より一層惹きつけられること間違いなしです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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