アイナ・ジ・エンドは何者?壮絶な生い立ち、元のグループBiSH時代、現在の経歴

2025年12月31日に放送される第76回NHK紅白歌合戦で、ソロアーティストとして初出場が決定したアイナ・ジ・エンド。「この人は何者?」と初めて名前を耳にした人が思うのも無理はありません。

アイナ・ジ・エンドは、元6人組ガールズグループBiSHのメンバーとして知られ、ハスキーな歌声と圧倒的なパフォーマンスでファンを魅了してきた歌手、ダンサー、シンガーソングライター、そして女優です。BiSH時代にはグループとして2021年の紅白に出場した経験がありますが、今回はソロでの晴れ舞台。

彼女の歌の実力は、幼少期からのダンス経験や数々の苦難を乗り越えた末に磨かれてきました。ここでは、彼女の生い立ちから経歴、現在までの活躍をキーワードをたどりながら、紅白出場までの道のりを解説します。

彼女のストーリーは、関西弁の明るいキャラクターと、声帯のトラブルや怪我を乗り越えるタフネスが交錯する、唯一無二のものです。

目次

生い立ちと幼少期:大阪の実家とダンスの原点

アイナ・ジ・エンドの本名は飯谷愛菜(いいたに あいな)。1994年12月27日、大阪府で生まれました。出身地は大阪府豊中市で、万博記念公園の近くという具体的な情報もありますが、一部では吹田市周辺とも言われています。豊中市と吹田市が隣接するエリアで育ったようです。

この地域は大阪の北部に位置し、緑豊かな郊外環境が彼女の幼少期を彩ったようです。実家の詳細はあまり知られていませんが、父はカメラマンとして働いていたことが知られています。両親の影響でクリエイティブな感性が養われたのかもしれません。

幼少期のハイライトは、4歳頃から始めたバレエ。ダンスへの情熱はここから芽生え、中学時代にはミュージカルスクールに通い、高校時代にはジャズダンススクールでスキルを磨きました。この頃の経験が、後のBiSHでの振り付け担当につながる基盤を作りました。

また、大阪出身らしい関西弁は、彼女の本音トーク時に自然と表れ、親しみやすさを生んでいます。昔の彼女を振り返ると、ダンス一筋の少女時代が、歌の実力を開花させるための土壌だったのです。

こうした生い立ちは、彼女の「何者?」という疑問に対する答えの第一歩です。関西の明るい文化が、独自の表現力を育てました。

学歴と上京:履正社高校卒業と歌手への転機

学歴については、高校は大阪の履正社高等学校を卒業しています。大学進学はせず、ダンスの道を追求しました。この選択は、彼女の人生のターニングポイントでした。

高校時代にジャズダンスに没頭し、卒業後にダンス仲間から歌を勧められたのがきっかけで、上京を決意します。当時の彼女は、ソロで自作曲を発表したり、yucatのバックダンサーとして集まったユニット・PARALLELで活動したりと、多忙な日々を送っていました。

名前の由来について、芸名「アイナ・ジ・エンド」はBiSH加入時に付けられたもので、本名の「愛菜」から派生したシンプルなもの。英語の「The End」は、グループのコンセプト(楽器を持たないパンクバンド)や彼女の「終わり」を意味するようなドラマチックなイメージを連想させますが、詳細は本人が多くを語っておらず、謎めいた魅力となっています。

この時期の「昔」の彼女は、デビュー当時のBiSHに直結します。2015年、PARALLELを卒業した直後にBiSHのオーディションに応募し、合格。グループの始動メンバーとして、ユカコラブデラックス、モモコグミカンパニー、セントチヒロ・チッチ、ハグ・ミィ(後に交代)と並んで活動をスタートしました。

デビュー当時は、ダンス経験を活かして振り付けを一貫して担当。グループの初期費用を抑えるための工夫だったそうですが、これが彼女の多才さを証明するエピソードです。

元のグループBiSHでの経歴:苦難を越えた「表現者」

BiSHは2015年に始動し、2016年にメジャーデビュー。アイナはメインボーカルとして、独特のハスキーボイスで人気を博しました。しかし、その経歴は順風満帆ではありませんでした。

2016年末に声帯結節の手術を受け、1ヶ月休養。手術後も一部の結節を残す選択をし、声の個性を守りました。また、2023年3月には撮影中の事故で頭部を負傷(30針縫う大怪我)し、活動を一部延期しましたが、4月から復帰。こうした逆境が、彼女の歌の実力をさらに鍛え上げたのです。

BiSHは2023年6月に解散しましたが、在籍中はMONDO GROSSOやDISH//への楽曲参加、WACK総選挙での2位獲得(ソロデビュー権獲得)など、多彩な活躍を見せました。

振り返ってみると、BiSH時代は彼女が「何者?」かを決定づけた時期でした。グループの「楽器を持たないパンクバンド」というコンセプトが、歌とダンスの純粋な表現力を際立たせ、彼女の圧倒的なステージングを全国に知らしめました。紅白出場(グループとして2021年)もこの頃の成果ですが、当時は緊張で声が出にくかったというエピソードがあり、ソロでのリベンジが期待されています。

ソロ活動と女優業:事務所移籍と現在の活躍

BiSH在籍時からソロ活動も並行して行っていました。 2018年にソロデビューシングル「夜王子と月の姫/きえないで」をリリースし、2021年の1stアルバム『THE END』では全曲作詞作曲を担当しています。

そして2023年6月のBiSH解散後、ソロ活動を本格化。以降、『DEBUT』(2023年、Kyrie名義)、『RUBY POP』(2024年)とアルバムを重ね、2025年にはシングル「革命道中」(アニメ『ダンダダン』OP)が大ヒット。Billboardチャートで上位を記録し、作詞作曲の才能が高く評価されています。また、KiSS KiSSやSixTONESの松村北斗への楽曲提供も積極的に行っています。

女優としても活躍を広げ、2022年のミュージカル『ジャニス』(ジャニス・ジョプリン役、主演)、2023年の映画『キリエのうた』(初主演)、2025年のNetflixアニメ『ムーンライズ』(声優・主題歌担当)など、話題作への出演が続いています。声優デビュー作『SING/シング: ネクストステージ』(2022年)では、歌唱力を活かした吹き替えが好評を博しました。

事務所については、2015年からWACK所属でしたが、2025年3月末に退所し、4月からエイベックス・ミュージック・クリエイティヴ(avex traxレーベル)へ移籍。この移籍は、ソロ活動の自由度を高め、紅白出場への追い風となったようです。
現在はYouTubeチャンネル(登録者50万人超、総再生2億回超)でファンとつながり、ライブツアー「革命道中」やフォトエッセイ『達者じゃなくても』を展開。30歳を迎え、成熟したアーティストとして進化を続けています。

紅白出場への道:アイナ・ジ・エンドの集大成

アイナ・ジ・エンドの紅白初出場(ソロ)は、彼女の経歴の集大成です。生い立ちのダンス経験がパフォーマンスの基盤を築き、BiSHでの苦難が歌声を独自のものにし、ソロ移籍後のヒット曲が全国的な認知を広げました。

2025年の紅白では、アニソン勢(LiSA、Vaundyなど)と並び、アニメ『ダンダダン』主題歌が注目されるでしょう。X(旧Twitter)では、ファンから「リベンジぶちかませ!」という声が上がり、BiSH時代の経験を活かしたパワフルなステージが期待されています。

彼女のストーリーは、興味を持った人々の「何者?」という疑問を「憧れの存在」へと変えていくでしょう。紅白は、彼女の歌の実力が一般層に届く絶好の機会になります。この出場はポストBiSH時代の成功を示すマイルストーンです。

まとめ:アイナ・ジ・エンドとは何者か

アイナ・ジ・エンドは、大阪でのダンス経験を土台に、BiSH(元のグループ)での試練を乗り越え、唯一無二のハスキーボイスと表現力を手に入れたアーティストです。

デビュー当時から振り付けを担当する多才さを持ち、現在はソロ歌手・女優として、さらに事務所を移籍し活躍の場を広げています。

彼女の生い立ちや経歴、そして「今」を知ることで、紅白のステージがさらに楽しみになるはずです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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