タイムマシーン3号関太の生い立ち全網羅!群馬の山奥から始まった体重115kgの軌跡

お茶の間で愛されるお笑いコンビ「タイムマシーン3号」。そのボケ担当として、キレのある動きと愛くるしいキャラクターで笑いを生み出しているのが関太(せき ふとし)さんです。

テレビで見ない日はないほど活躍中の関さんですが、そのルーツを探ると、驚くほど自然豊かな群馬の山奥にたどり着きます。「関太」という芸名や、あの立派な体格には、実は少年時代からの積み重ねや意外なエピソードが隠されていました。

今回は、関太さんがどのような環境で育ち、どうやってお笑いの道を切り開いてきたのか。ご本人のエピソードや信頼できる情報を基に、その半生を紐解いていきます。読めばきっと、関太さんのことがもっと好きになるはずです。

目次

1. 群馬の秘境?信号機すら珍しい大自然での生い立ち

関太さんの物語は、群馬県吾妻郡中之条町(旧六合村)から始まります。ここは四万温泉や野反湖などがある美しい里山エリアですが、関さんが育った当時は、信号機がほとんど見当たらないほどの「ド田舎」だったそうです。

1979年8月5日に生まれた関さんの本名は、関 智大(せき ともひろ)さん。

この村は住民同士がみんな顔見知りという濃密なコミュニティ。関さん自身もテレビで「村の星のような存在だった」と語るほど、地元では目立つ少年でした。

祖父が山で捕まえたのはまさかの…

関さんの実家周辺の「野生レベル」を物語る、とんでもないエピソードがあります。なんと、おじいちゃんが山で捕まえてきた動物が、実は国の特別天然記念物である「ニホンカモシカ」だったというのです。

普通の田舎暮らしではなかなか聞けない、笑撃の逸話ですよね。こうした大自然と、ちょっと規格外な日常の中で育ったことが、関さんのあのおおらかで親しみやすいキャラクターを作ったのかもしれません。

2. 兄弟との知能戦?愛すべき家族のエピソード

関さんの家族構成は、祖父・両親・本人・弟・妹の6人家族だと言われています。
特に兄弟とのやりとりは、関さんのブログやラジオでたびたび語られており、仲の良さが伝わってきます。

兄の威厳を見せつけた幼少期

幼い頃の関さんは、妹さんに対してちょっとした「いたずら」を仕掛けていたようです。

  • 妹をうまく言いくるめて、当時流行していた「ビックリマンシール」を買わせる
  • ゲーム『ストリートファイターII』で自分だけこっそりレベルを上げ、勝負を有利に進める
  • 妹が作ったラーメンを褒めていい気分にさせる

なんとも微笑ましい、兄妹ならではの駆け引きですよね。また、弟さんについては「僕は父親似、弟は母親似」と語っており、以前ラジオ番組に兄弟で出演した際の写真からも、兄弟揃って優しげな雰囲気が漂っていました。こうした温かい家族との関わりが、今の関さんのネタに見られる「毒のない笑い」につながっているのでしょう。

そして少年時代の関さんにとって、一番の娯楽は「テレビ」。
「テレビの中が一番面白い。いつか作る側になりたい」
そんな夢を抱いた少年は、群馬の山から広い世界へと目を向け始めます。

3. 高校時代と上京、そして「3合」の伝説

地元の群馬県立中之条高等学校(現・吾妻中央高等学校)に進学した関さん。
実はソフトテニスやスキー、ダーツが得意というアクティブな一面も持っています。あの体型からは少し意外に感じるかもしれませんが、運動神経の良さはネタ中の軽快な動きからも見て取れますよね。

体重115kgのルーツは「白米」にあり

関太さんといえば、身長163cm・体重115kgというぽっちゃり体型がトレードマーク。この体格、一朝一夕で作られたものではありません。
なんと学生時代から「一食にご飯を3合食べる」という驚異的な食欲を発揮していたそうです。

この「3合」という数字、実はのちのコンビ名に関わる重要な伏線になります。
また、年間350〜400冊もの漫画を読むという趣味もこの頃から培われていたようで、今のネタ作りの引き出しの多さは、ここにもルーツがありそうです。

高校卒業後、大学へは進学せず、お笑いの道を志して上京。「東京アナウンス学院」のお笑い専門コースへ入学します。田舎から出てきたばかりの関さんにとって、東京は驚きの連続。「信号機の多さに腰を抜かした」というカルチャーショックすらも、のちに漫才のネタとして昇華させています。

4. 「余り物」から始まった最強コンビの結成秘話

東京アナウンス学院で運命の出会いが待っていました。相方となる山本浩司さん(新潟県出身)です。

しかし、二人の出会いは「一目惚れ」のようなカッコいいものではありませんでした。クラスの中で誰ともコンビを組めなかった「余り物同士」で、単位を取るために仕方なく組まされたのが始まりだったのです。

辞めるに辞められなくなった二人

最初は気まずい雰囲気だったそうですが、いざライブに出ると笑いが取れてしまう。「あれ、意外といける?」そんな手応えを感じているうちに、2000年4月、正式に「タイムマシーン3号」を結成することになりました。

気になるコンビ名の由来ですが、

  • タイムマシーン: 相方の山本さんが命名
  • 3号: 関さんが食べるご飯の量(3合)や、当時の出席番号に由来

そして、芸名「関太」の名付け親は、なんと先輩芸人のハチミツ二郎さん(東京ダイナマイト)。本名の「智大」から、親しみやすくどっしりした「太」に変えたことで、キャラクターが一気に確立されました。

5. 遅咲きだからこそ強い!現在の快進撃

デビュー後、NHK『爆笑オンエアバトル』で常連となり実力を示しましたが、すぐに大ブレイクとはいきませんでした。
2005年のM-1グランプリで決勝に進むも7位。その後も地道な活動が続きますが、2013年の太田プロダクションへの移籍や、2015年のM-1再決勝進出(4位)、2016年のキングオブコント決勝進出(4位)と、漫才・コントの両方で確かな爪痕を残してきました。

2025年、テレビもYouTubeも無双状態

そして現在。関さんの活躍ぶりは目を見張るものがあります。
2024年から2025年にかけての年末年始番組出演ランキングでは上位にランクイン。テレビだけでなく、YouTubeチャンネルの登録者数は110万人を超え、総再生回数は8億回以上。若い世代からも絶大な支持を得ています。

関さんは自身の分析として、「自分たちは客受けは良いけど、芸人受けはしないタイプ」と自嘲気味に語ることがあります。しかし、その「分かりやすさ」と「誰も傷つけない笑い」こそが、今の時代の空気に完璧にマッチしたと言えるでしょう。

まとめ:群馬の自然が生んだ愛されキャラ

関太さんのこれまでの道のりを振り返ってみましょう。

  • 野生味あふれる幼少期: 信号のない群馬の山奥で育ち、カモシカを捕まえる祖父などユニークな環境で感性を磨いた。
  • 上京と出会い: 高校卒業後に上京し、専門学校で「余り物同士」だった山本さんと運命のコンビ結成。
  • 名前の秘密: 「3号」はご飯の量、「関太」はハチミツ二郎さん命名。
  • 遅咲きの成功: M-1やキングオブコントでの苦闘を経て、現在はテレビ・YouTubeで大ブレイク。

中之条町の観光大使として、中山秀征さんや井森美幸さんと並び、地元・群馬を盛り上げている関さん。
ブレイクまで時間はかかりましたが、その分、積み上げてきた実力と愛されるキャラクターは本物です。もし関太さんのファンになったなら、ぜひ彼のルーツである中之条町を訪れてみてください。彼が育ったあののどかな風景の中に、その温かい笑いの原点が見つかるはずです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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