三田寛子と中村芝翫(しかん)の結婚生活を深掘り!馴れ初め秘話、結婚式の豪華ゲスト、義理母との葛藤、芝翫の若い頃の活躍と成駒屋の家系図まで

三田寛子さん、梨園の妻として輝き続ける理由とは?夫・中村芝翫さんとの愛の物語、そして知られざる試練

三田寛子さん(本名:中村敦子さん、1966年1月27日生まれ)といえば、1980年代にアイドル歌手としてデビューし、その後は女優、タレントとしてマルチに活躍した、誰もが知る日本のスターですよね。

1991年には歌舞伎界の名門「成駒屋」の三代目中村橋之助さん(現在の八代目中村芝翫さん)とご結婚。梨園の妻としての役割を立派に務めながら、芸能活動も続けていらっしゃいます。

その上品で親しみやすい人柄は、歌舞伎という伝統の世界と、華やかな現代の芸能界との架け橋のような存在として、多くの人々から愛されています。

この記事では、三田寛子さんと夫である中村芝翫さんの気になる馴れ初めから結婚式、そして芝翫さんの若い頃の活躍、成駒屋の家系図、さらには義理のお母様との関係まで、皆さんの知りたい情報をぎゅっと詰め込んで、わかりやすくお届けします。

目次

馴れ初め:映画のワンシーンから始まった、情熱的な猛アタック!

三田寛子さんと中村芝翫さん(当時は三代目中村橋之助さん)の運命の出会いは、1988年公開の映画『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』(山田洋次監督)。

この映画の撮影現場でのちょっとした出来事が、二人の物語の始まりでした。

橋之助さんはこの映画に脇役として出演しており、三田さんは共演者だった俳優・尾美としのりさんの陣中見舞いに訪れた際に、初めて顔を合わせたのです。

実は当時、橋之助さんは三田さんの大ファンだったそうで、この出会いを逃すまいと猛アタックを開始したのです。

中でも有名なのが、1989年の中村さんからの雑誌対談でのご指名エピソードでしょう。

この対談、なんと中村さんのお父様(七代目中村芝翫さん)行きつけの料亭で行われたのですが、お店の閉店時間を過ぎた深夜0時からスタートするという、なんとも特別な計らいだったとか。日本酒を片手に話も弾み、その後、中村さんは三田さんをカップル向けの個室に誘うなど、かなり情熱的にアプローチを展開!

さらに、三田さんが参加したゴルフトーナメントでは、中村さんが「ぜひ僕にレッスンさせてください!」と直接申し出るなど、積極的に距離を縮めていったそうです。

三田さんは当初、歌舞伎の世界にはあまり馴染みがなく、梨園の妻がどういうものか、ピンと来ていなかったそうです。

それでも、中村さんの真っ直ぐな想いと誠実な人柄に心惹かれ、約3年のお付き合いを経て、1991年にゴールインしました。

「笑っていいとも!」で共演していたタモリさんから「寛子、(結婚は)やめた方がいいんじゃないか。お前には(梨園の妻は)務まらないよ」と心配された、なんて話も伝わっていますが、三田さんは中村さんとの未来を選んだのですね。

この決断が、彼女の人生を大きく変える一歩となったのです。

結婚式:梨園に咲いた、華やかな祝宴

1991年11月29日、三田寛子さん(当時25歳)と三代目中村橋之助さん(当時26歳)の結婚式・披露宴は、東京・赤坂のホテルニューオータニでそれは盛大に執り行われました。

日刊スポーツによると、なんと約860名ものゲストがお祝いに駆けつけ、歌舞伎界や芸能界のスターたちが勢揃いする、それはそれは華やかな宴だったそうです。

三田さんは披露宴で「とにかく胸がいっぱいです。きのうは緊張してなかなか眠れませんでした」と、その感激ぶりを語り、普段はあまり飲まないお酒を少しだけ飲んでリラックスした、と可愛らしい一面も明かしました。

一方、中村さんは「お互いに尊敬し合える夫婦になりたい。眉間にしわを寄せない、笑顔の絶えない家庭を築きたい」と、温かい家庭への想いを語りました。

三田さんも「健康的で楽しい家庭にしたいです。私の手料理でお客さまをお呼びできるようになりたい」と、梨園の妻としての新しい生活への抱負を笑顔で話していました。

アイドルとして人気絶頂だった三田さんと、歌舞伎界の名門の御曹司との結婚は、当時、本当に大きなニュースになりました。

ただ、歌舞伎界には古くからのしきたりを大切にする「ご贔屓筋」(熱心な支援者の方々)も多く、「アイドル上がりに何ができるんだ」と厳しい目で見られることもあり、結婚当初は色々とご苦労もあったようです。

中村芝翫さんの若い頃:歌舞伎界のホープとして、輝かしい日々

1985年 NHK時代劇「真田太平記」向井佐助役の中村芝翫

中村芝翫さん(本名:中村幸二さん、1965年8月31日生まれ)は、歌舞伎界の名門「成駒屋」の次男としてお生まれになり、幼い頃から歌舞伎の舞台に立ってこられました。

成駒屋の屋号の定紋は「祇園守」、替紋は「四つ梅」です。

お父様である七代目中村芝翫さんのもと、なんと3歳で初舞台を踏み、1978年には三代目中村橋之助を襲名。若い頃から、お父様譲りのキリッとした顔立ちと、男性的な役柄(立役)を得意とする堂々たる演技で、将来を嘱望されていました。

中村さんは青山学院中等部を卒業後、歌舞伎の道に専念しつつ、テレビドラマやバラエティ番組にも積極的に出演。

1980年代には、歌舞伎役者という枠を超えて、お茶の間でも広く知られる存在になりました。

例えば、NHKの大河ドラマや民放の人気ドラマに出演し、若手歌舞伎俳優としての魅力を存分に発揮。また、義太夫狂言といった伝統的な演目にも果敢に挑戦し、着実に歌舞伎界での地位を固めていきました。

若い頃の橋之助さんは、まさに歌舞伎界の期待の星!そして、なかなかのモテ男だったとか。

三田さんへの熱烈なアプローチからも分かるように、情熱的でグイグイ引っ張っていくタイプだったのかもしれませんね。

そんなところも彼の魅力の一つだったのでしょう。

2016年には八代目中村芝翫を襲名し、今や名実ともに歌舞伎界を代表するお一人ですが、若い頃は伝統を大切にしながらも新しい風を吹き込む、そんな次世代のスターとして熱い視線を集めていたのです。

家系図:受け継がれる成駒屋の伝統と、家族の絆

中村芝翫さんは、歌舞伎界の名門「成駒屋」の血筋を受け継いでいらっしゃいます。ここで、成駒屋の簡単な家系図をご紹介しましょう。

  • 七代目中村芝翫(中村芝翫さんのお父様):成駒屋の当主として、一時代を築いた偉大な歌舞伎役者。
  • 中村雅子さん(中村芝翫さんのお母様、三田寛子さんの義理のお母様):梨園の妻として、陰日向に家を支え、三田さんにも大きな影響を与えた方です。
  • 八代目中村芝翫(中村幸二さん、三代目中村橋之助さん):三田寛子さんのご主人。
  • 三田寛子さん(妻):元アイドル。梨園の妻として、3人の息子さんを立派に育て上げました。
  • 四代目中村橋之助(中村国生さん、1995年生まれ):長男。成駒屋の次代を担う存在として、目覚ましい活躍を見せています。
  • 三代目中村福之助(中村宗生さん、1997年生まれ):次男。確かな実力で、歌舞伎俳優として歩んでいます。
  • 四代目中村歌之助(中村宜生さん、2001年生まれ):三男。若手歌舞伎役者として、将来が期待されています。

三田さんと中村さんの間には3人の息子さんがお生まれになり、皆さん立派に歌舞伎役者として活躍されています。

2016年には、親子4人揃っての襲名披露興行が行われ、橋之助さんが八代目中村芝翫を、長男の国生さんが四代目中村橋之助を襲名するなど、成駒屋の伝統が次の世代へと確かに引き継がれた感動的な出来事となりました。

義理のお母様:中村雅子さんとの関係

三田寛子さんの義理のお母様である中村雅子さんは、七代目中村芝翫さんの奥様として、そして成駒屋という大きな家を内から支えた、まさに梨園の妻の鏡のような方です。

雅子さんは、歌舞伎界の厳しいしきたりをしっかりと守り伝える方で、三田さんにとっても大きな存在だったのではないでしょうか。

ただ、伝わってきている話では、結婚当初、三田さんは梨園の妻としての振る舞いに慣れず、雅子さんやご贔屓筋の方々から厳しい言葉をいただくこともあったようです。

特に梨園の妻には独特の決まりごとが多く、例えば「ご贔屓筋の方々へのお礼状は必ず直筆で」「みすぼらしい着物はダメだけれど、かといってご贔屓筋より立派なものを着るのもご法度」といった、細やかな気配りが求められたそうです。

さらに、雅子さんのお家には、中村芝翫さんを幼い頃からお世話してきた、まるで乳母のような方がいらして、三田さんの日々の行動が細かく伝わるような環境だったとか。

義理のお母様との関係も、最初は気を使う場面が多かったのかもしれませんね。

それでも、三田さんは持ち前の努力と真面目さで、梨園の妻としての立ち居振る舞いを一つひとつ身につけ、雅子さんとも少しずつ心を通わせていったのではないでしょうか。

夫婦関係の試練、そして今

三田寛子さんと中村芝翫さんの結婚生活は、梨園の妻という立場ならではのプレッシャーに加え、芝翫さんの度重なる不倫報道(2016年、2021年、そして2024年など)によって、幾度となく大きな試練に直面してきました。

特に2016年の報道の際には、三田さんが記者会見を開き、「夫婦で支え合ってきたつもりですが、主人にも私にも至らない点が多くございました」と涙ながらに謝罪し、離婚はしないという強い意志を示したことは記憶に新しいです。

2024年にも、芝翫さんが別の女性と別宅で暮らしていると報じられ、夫婦仲は「氷点下」なのでは?なんて声も聞かれましたが、三田さんはSNSで家族の絆を伝える投稿を続け、気丈な姿を見せています。

2024年11月には、次男・中村福之助さんの27歳のお誕生日を家族5人でお祝いした写真をインスタグラムに投稿し、「久しぶりに夜遅くまでおしゃべりが止まりませんでした」と、家族団らんの温かい様子を報告。

こうした投稿からは、三田さんが何よりも家族の絆を大切にし、梨園の妻としての責任を最後まで果たそうとされている、そんな強い想いが伝わってきます。

まとめ:愛と努力で築き上げた、梨園の妻としての人生

三田寛子さんと中村芝翫さんの馴れ初めは、映画のワンシーンのような偶然の出会いから、芝翫さんの情熱的なアプローチで実を結んだ、まさにロマンティックなラブストーリーでした。

1991年の結婚式は、歌舞伎界と芸能界の華やかな融合を象徴する、夢のようなイベントだったことでしょう。

芝翫さんの若い頃は、歌舞伎界の期待の星としてまばゆいばかりの輝きを放ち、テレビなどでも活躍し、お茶の間でも人気を博していました。

成駒屋の家系図を辿れば、その伝統が三田さん、そして3人の息子さんたちへと確かに受け継がれているのがよくわかります。

義理のお母様である中村雅子さんとの関係や、梨園の妻としての様々な試練を乗り越え、三田さんは家族を支える大きな強さとしなやかさを見せてきました。

度重なる困難に見舞われながらも、三田寛子さんは「雨降って地固まる」ということわざを胸に、夫婦として、そして家族としての絆を懸命に守り続けているように見えます。

彼女のこれまでの道のりは、人気アイドルから梨園の妻へと大きな変化を遂げながらも、変わらぬ努力と深い愛で家族を支え続ける、感動の物語と言えるのではないでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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