麻木久仁子のwiki経歴!40代後半に脳梗塞と乳がんの病気を発症!

知性と明るい笑顔で、お茶の間の人気者!クイズ番組やエッセイなどで活躍する麻木久仁子さん。

還暦を迎えても豊富な知識とユーモアあふれるトークで、多くの人々に愛されています。

そんな麻木さんは、娘さんが独立するまで一緒で、現在は母親と二人で同居しています。

また、40代後半に脳梗塞と乳がんを発症、闘病経験があり今の還暦に至ります。

麻木久仁子さんの経歴をwiki風にまとめてみました。

それではご案内します。

目次

麻木久仁子のwiki経歴

名前:麻木久仁子
生年月日:1962年11月12日
出身地:東京都大田区生まれ
学歴:学習院大学中退
身長:159cm
職業:エッセイスト、コメンテーター
所属:パールダッシュ

テレビ、ラジオ番組で司会者、コメンテーターとして活躍した他、知性派タレントとしてクイズ番組を中心にバラエティ番組の出演をしていました。

麻木久仁子さんは、歯に衣着せぬコメントで人気を集めました。

麻木久仁子は40代後半に脳梗塞と乳がん発病

麻木久仁子さんが忙しく活躍していた時期

2010年に脳梗塞を発症、病気に気づいたきっかけは。

2010年暮れ、48歳のとき、右手で鍵を開けようとして震えて鍵が入らない。

左手で腕を支えて、「これはおかしい」

と思ったのがきっかけでした。

医療番組に出演していたので「これは脳だわ! 右側しか来ないんだもん。ヤバい。頭、脳に来てるんだわ」と分かって、すぐに病院へ電話して診療の予約。

早期発見で、薬での治療できました。

慌てて仕事をやめてはいけない』と、病棟でのチラシが目に留まりました。

そのときは病気の事を隠していました。

脳梗塞だとわかったら、仕事が来なくなると思ったからです。

2012年に乳がんを発症、発見のきっかけ

2010年に脳梗塞の完治後、2012年の人間ドックでステージ0の乳がん発見。

検診が、がんの早期発見のきっかけでした。

もう少し発見が遅れていたら重症化の可能性がありました。

情報番組で乳がんの情報に触れているはずなのですが、どこか人ごとだったんですね。

我が身にならないとわからない。

乳がん発症は公表しました。

治療を続けながら働くのは当たり前。

芸能界でもそんな時代になってました。

麻木さんはステージ0の状態からの乳がん闘病生活でしたが、全ての治療が完了したのは5年後の2017年でした。

ただ治ればいいのではありません。

治った後、元の生活にいかに近づけるのかが大事。

麻木さんは仕事があってこその人生と感じたようです。

麻木久仁子は大病から健康管理に目覚める

病気の体験から食事を見直し、

2016年国際薬膳師、2020年温活指導士などの資格を取得。

体を温め、免疫力を高める温活”という考えや食事などを提案しています。

「薬膳」との出会いが、大病や更年期を乗り切る一助になったと言います。

以前と同じように過ごしていては、肉体の安全は守れないということ。

心の余裕のなさが身の危険につながる実感があるから、還暦の自分をいたわること。

無駄な闘い事からも、降りるように。

人間関係も棚卸し、自分にとって無理なく心地よい関係を選択します。

麻木久仁子さんが闘病経験で学んだことは、歳を重ねた人が心得るべき大切なものがありました。

健康を取り戻した麻木久仁子は還暦!娘は社会人で独立

娘さんは、麻木久仁子さんが32歳(1994年)のときに生まれました。

彼女は社会人になり、2022年に28歳の時、ついに家を出て独立しました。

「さびしいでしょう? 絶対にさびしいよね!」と娘さんから言われました。

その感情は否定できませんでしたが、これからは気兼ねすることなく、自分の好きなものを作って食べる自由を手に入れました。

娘さんが独立したとはいえ、彼女は時折遊びに来てくれます。

その度に、家族の絆の深さを改めて感じます。

そして、彼女が自分の人生を歩んでいることに麻木さんは大いに喜びを感じているようです。

麻木久仁子さんの生活は、娘の独立とともに新たなステージに入りました。

それは同時に、麻木さんの母親との新たな関係のスタートになりました。

【現在】麻木久仁子は母親と同居

母親の独り暮らしを心配して、麻木さんの妹と弟が『うちにおいで』と声をかけていました。

“足腰がしっかりしている間は一人で暮らす。子供に迷惑はかけられない”と拒みます。

ところが、2014年に母親が大病をしたのを機に、麻木さんが『うち来る?』と話したところ即答で『行く』と。

心細くなったのでしょうか。

一緒に暮らすようになった母。

最初は、母、子、娘の3人で住み始めました。

その時は、食事は麻木さんが用意していました。

娘さんが独立して家を出た後しばらくして、

自分が食べたいものを作るから、もう作ってくれなくて大丈夫」と母親から言われます。

自分の生活は可能な限り自分でコントロールしたいという“おひとりさま”の考え

母らしい態度だと思いました。

そして、毎食をともにすることはなくなりました。

母親が1階麻木さんが2階に住んで、生活は別々のシェアハウス状態です。

今は必要な時には助け合う、ほどよい距離感で暮らしているようです。

たまにおすそ分けをしたり、されたり。

週末は一緒に食べたり。

お母さんは、60代になって始めたダンスも週3日出かけています。

母は2012年の大病のリハビリをきっかけに、社交ダンスを始め、そこから25年間ずっと続けています。

そこで友人関係になった人たちと、旅行食事会だと、麻木さんよりはるかに行動的で、人生を楽しんでいる様子。

麻木さんのお母さんは「人生、60歳から再スタート!」のお手本のような存在です。

【還暦】麻木久仁子のwiki経歴!40代後半に脳梗塞と乳がんの病気を発症!、まとめ

今回は、麻木久仁子さんの経歴を振り返り、母親や娘さんとの絆、そして40代後半の大病との闘いについて掘り下げてみました。

いかがでしたでしょうか?

家族を支え、病気を乗り越えてきた麻木さんの姿は、多くの人々に勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

還暦を過ぎた現在は、自身の健康を第一に考え、無理のないペースで生活しながらも、人生を謳歌する姿を見せてくれています。

これからも、麻木久仁子さんの活躍から目が離せません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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