【衝撃】藤田ニコルの壮絶な学生時代。不登校と涙を乗り越え、輝きを掴むまで

「にこるん」の愛称で親しまれる藤田ニコルさん。今やモデル、タレント、YouTuberとして、その姿を見ない日はないほどのマルチクリエイターです。

1998年2月20日、ニュージーランドで生を受けた彼女は、ロシア・ポーランド系の父と日本人の母を持つ、まさに多様な文化の結晶。3歳で日本へ移住し、ここから彼女の物語が始まります。

この記事では、華やかな世界の裏で彼女が経験した、知られざる努力や葛藤の道のりをひも解いていきます。芸能界デビューのきっかけから、いじめによる不登校、そして通信制高校での再起まで、彼女の「原点」に迫ります。

目次

1. 子供の頃:夢への扉を開いた母の一言

ニュージーランド オークランド

藤田ニコルさんの芸能界入りの背景には、彼女が育った環境と、パワフルな母親の存在が大きく影響しています。

ニュージーランドのオークランドで、IT会社を経営する父のもと、裕福な家庭に生まれたニコルさん。「国際的に活躍できる子に」という母の願いが、その名前には込められていました。

しかし3歳の時、両親の離婚を機に母と二人で日本(埼玉県戸田市)へ。スナックやスポーツジムを経営し、女手一つで彼女を育て上げた母の背中を見て、ニコルさんは育ちました。

埼玉県戸田市

そんな彼女が芸能界に憧れを抱いたのは小学生の頃。2009年、当時11歳だったニコルさんは、母の勧めでティーン向けファッション誌『nicola』のモデルオーディションに応募します。約1万4000人の中から見事グランプリに輝き、これが彼女の輝かしいキャリアの第一歩となりました。

もともとファッションや「ギャル文化」が大好きだったというニコルさん。彼女ならではの個性的なルックスと、誰をも惹きつける明るいキャラクターが審査員の心を掴んだのです。

2. ニコラ時代:光と影のモデルライフ

グランプリ受賞後、ニコルさんは『nicola』の専属モデル「ニコモ」として活動をスタート。2009年から2014年にかけて、ティーンのカリスマとして絶大な人気を集めました。

ギャル系のファッションを自分のスタイルとして確立し、愛らしいルックスと気さくな人柄で読者の心を鷲掴みに。何度も表紙を飾る看板モデルへと成長し、関連メディアで初代編集長を務めるなど、若くしてリーダーシップを発揮していたこともわかります。

しかし、その裏で送っていた学生生活は、順風満帆とはいきませんでした。

モデル活動が忙しくなるにつれ、学校ではどうしても目立つ存在に。それが嫉妬の対象となり、陰湿ないじめを受けるようになります。2016年に出演したテレビ番組では、「あれがモデルかよ」「ブス!」といった暴言、机への「死ね」という落書き、理由もなく土下座をさせられるなど、壮絶ないじめを受けていたことを告白しました。

このいじめが原因で、ニコルさんは一時、不登校になってしまったのです。

つらい経験でしたが、彼女にとって心の支えとなったのがモデルの仕事でした。「モデルの仕事があったから頑張れた」と後に語っているように、仕事が自分を表現できる大切な場所であり、つらい現実から心を救う逃げ場にもなっていたのかもしれません。

3. テレビ初出演:タレント「にこるん」誕生の瞬間

めざましテレビ出演

モデルとして軌道に乗り始めた中学生時代、ニコルさんに新たな転機が訪れます。それがテレビへの出演です。

記録をたどると、2012年頃からバラエティ番組などにゲストとして登場し始めます。彼女の知名度を一気に押し上げたのは、2014年の『めざましテレビ』(フジテレビ系)内コーナー「イマドキ」へのレギュラー出演でした。トレンド情報を元気いっぱいに紹介する姿は、お茶の間にフレッシュな印象を与えました。

そして、彼女の天真爛漫な「おバカキャラ」が注目を集めるきっかけとなったのが、2015年頃の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)などへの出演です。物怖じしない天然な発言と、ギャル文化を体現するキャラクターが視聴者に大ウケし、タレントとして引っ張りだこに。モデルとしての人気に加え、テレビでの親しみやすさが、彼女の人気を不動のものにしました。

4. 飛鳥未来高校:自分らしい学びの選択

飛鳥未来高校卒業式

中学時代の不登校を乗り越えたニコルさんは、高校進学にあたり、通信制の飛鳥未来高校(池袋キャンパス)を選びます。それは、モデルやタレントの仕事と学業を両立させるための、現実的で前向きな決断でした。

飛鳥未来高校は、芸能活動など夢を追いかける生徒が学びやすい、柔軟なカリキュラムで知られています。自分のペースで学べる環境は、多忙な彼女にとって最適だったのです。

この時期、ニコルさんは『nicola』を卒業し、より大人向けのギャル系雑誌『Popteen』の専属モデルへ。少し背伸びしたファッションで、さらに多くのファンを獲得しました。

通信制高校の自由な時間を最大限に活用し、モデル、テレビの仕事をこなしながら、2016年に無事卒業。卒業後は大学へは進まず、芸能活動一本で生きていくことを決意します。シングル「ByeBye」でCDデビューし、作詞に挑戦するなど、クリエイティブな一面も見せ始めたのもこの頃でした。

5. 高校卒業まで:苦労を乗り越えて見つけた自分の道

藤田ニコルさんが高校を卒業するまでの道のりは、いじめや不登校という大きな壁を乗り越えてきた、まさに波乱万丈の物語です。彼女が困難を乗り越え、成功を掴むことができた背景には、いくつかのポイントがあります。

  • パワフルな母親の存在: 母の「やってみなさい」という後押しが、夢への扉を開きました。
  • 心の拠り所となったモデルの仕事: 学校に行けないほど辛い時期も、仕事が彼女の自己肯定感を支えました。
  • 自分に合った学習環境の選択: 通信制の飛鳥未来高校を選んだことで、学業と夢の両立が可能になりました。
  • ありのままの個性を武器に: 自分の「好き」を貫き、コンプレックスさえも魅力に変える力で、独自のポジションを築きました。

6. まとめ:藤田ニコルの「原点」

藤田ニコルさんの物語は、11歳の少女が「ニコラモデルオーディション」でグランプリを掴んだ瞬間から始まりました。

『nicola』『Popteen』でティーンの心を掴み、『めざましテレビ』への出演をきっかけにお茶の間の人気者へ。しかしその裏では、いじめによる不登校という、つらく苦しい時期も経験しました。

そんな彼女を支えたのは、モデルの仕事と、自分らしいペースで学べる飛鳥未来高校での日々でした。2016年の高校卒業までに、モデル、タレント、そしてアーティストとしてマルチに活躍するための土台を築き上げたのです。

彼女の物語は、逆境を力に変え、自分らしく輝く道を見つけた一人の女性の記録です。その明るさの裏にある努力と強さが、今の藤田ニコルさんを形作っています。これからも、彼女の新たな挑戦から目が離せません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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