Hey! Say! JUMPの絶対的エースとして、アイドル、俳優、YouTuberとマルチに活躍する山田涼介さん。その魅力的なパフォーマンスや親しみやすい人柄は、一体どんな子供時代や若い頃に培われたのでしょうか。
この記事では、山田涼介さんの生い立ちを幼少期から紐解き、ジャニーズ事務所への入所、そしてHey! Say! JUMPとしてのデビューまでの軌跡を追いかけます。
幼少期:東京生まれ、秦野育ちのサッカー少年

山田涼介さんは1993年5月9日、東京都中野区で生を受けました。ご両親と2歳上のお姉さん、1歳下の妹さんとの5人家族。姉弟妹は全員が年子という、とても賑やかな家庭で育ちました。
幼稚園時代は中野区の幼稚園に通い、なんとSixTONESの京本大我さんとは同じ公園で遊んだ「お砂遊び友達」だったという、微笑ましいエピソードも残っています。
しかし、幼稚園を卒業すると、一家は神奈川県秦野市へお引越し。この秦野での生活が、山田さんの人格を形作る上で、とても大切な時間となったようです。
秦野市では、秦野市立南が丘小学校に通い始め、持ち前の運動神経を活かしてサッカーにのめり込んでいきます。小学3年生でサッカーを始めると、その才能はすぐに開花。わずか1年後には、Jリーグ「湘南ベルマーレ」のジュニアユース(U-15WEST)に所属するまでに。600人中わずか十数人しか受からない狭き門を突破し、本気でプロサッカー選手を目指していた山田少年にとって、サッカーはまさに夢そのものでした。
彼が南が丘小学校に通っていたことは地元では有名で、今でもSNS上では同年代の秦野市民が誇らしげに語っているのを見かけます。
この頃の山田さんは、サッカーに打ち込む一方で、子供らしい一面も。バレンタインには毎年3つもチョコレートをもらっていたそうで、本人も「小学校時代はモテモテだった」と語るほど。また、大の爬虫類好きとしても知られ、のちにカブトムシやトカゲをたくさん飼うことになりますが、その片鱗は、生き物や自然に触れるのが好きだったこの頃からあったのかもしれませんね。
ジャニーズ入所のきっかけ:お母さんとお姉さんの”ファインプレー”

山田涼介さんがジャニーズ事務所の門を叩いたのは、2004年、11歳の時でした。しかし驚くことに、本人はアイドルになる気など全くなく、サッカーに夢中な毎日。
そのきっかけは、なんとKinKi Kidsのファンだったお母さんとお姉さんが、本人に内緒で履歴書を送ったことでした。お母さんは「ワールドカップの限定ピンバッチを買ってあげるから」という言葉で山田少年を巧みに誘い出し、人気バラエティ番組「Ya-Ya-yah」の公開オーディションに参加させたのです。
そして、見事合格。2004年8月12日、こうして彼のジャニーズ人生は始まりました。このエピソードからも、山田さん一家の仲の良さが伝わってきますね。
ちょうどその頃、ジュニアユースの厳しい環境で「実力の差」に悩んでいた時期でもあり、ジャニーズへの挑戦は、彼にとって新しい扉を開く大きな転機となりました。
中学時代:南が丘中学校と芸能活動の両立

秦野市立南が丘中学校に進学した山田さんは、引き続き秦野から都内に通いながら、芸能活動を本格化させます。
中学1年生の2006年には、ドラマ「探偵学園Q」で俳優デビュー。しかし、多忙を極める生活で学校へ行く時間も減り、クラスメイトと少し距離ができてしまったのか、「バレンタインのチョコがゼロになった」と、のちに笑いながら明かしています。部活動には参加せず、芸能活動に専念する、サッカー少年時代とは全く違う生活のスタートでした。
ちなみに、ファンの間でささやかれる「子供時代茶髪」のキーワードですが、具体的な情報はなかなか見つかりません。

しかし、SNSには幼少期の写真が投稿されており、小さいときから既に「茶髪だった?」と話題とになったのかもしれませんね。
ジャニーズJr.時代:努力で掴んだセンターの座

ジャニーズ事務所に入所後、山田さんはジャニーズJr.として活動をスタート。2007年、中学2年生の時に期間限定ユニット「Hey! Say! 7」のメンバーに選ばれ、同年9月、「Hey! Say! JUMP」が結成されます。そして2007年11月14日、「Ultra Music Power」で華々しくメジャーデビュー。彼のスター街道が、ここから本格的に始まりました。
しかし、意外にもデビュー当初のセンターは中島裕翔さん。山田さんは端のポジションからのスタートでした。
ここから、彼の負けず嫌いな性格と人一倍の努力が爆発します。休憩時間も惜しんで練習に打ち込み、その熱意で、ついにはセンターの座を掴み取ったのです。「1%の可能性を100%信じる」という強い信念が、彼をJr.の中で一歩抜きん出た存在にしました。この時のひたむきな努力が、のちの絶対的エース・山田涼介の礎(いしずえ)を築いたことは言うまでもありません。
家族の絆:「親父」の焼肉屋と心強い支え

山田さんの生い立ちを語る上で、ご家族、特に「親父」と呼ぶお父さんの存在は欠かせません。お父さんはもともと鉄道会社に勤めていましたが、一念発起して脱サラし、焼肉店をオープン。渋谷「焼肉ホルモン 永秀」店員を経て赤坂の「おやじのやまだ」で店長を務め、ファンとの交流も大切にする、気さくなお父さんだったそうです。店内には息子のサインを飾り、その活躍を誇らしげに語る姿が、ファンの間でも度々話題になりました。
また、妹さんが幼い頃に難病を乗り越え、現在は結婚して幸せな家庭を築いているというエピソードからは、彼がどれだけ家族を大切に思っているかが伝わってきます。
高校時代:堀越高校での学びと葛藤

高校は、多くの芸能人が通う東京の堀越高等学校(トレイトコース)へ進学し、2012年に卒業しました。同級生には神木隆之介さん、志田未来さん、野村周平さん、そして同じグループの知念侑李さんや中島裕翔さんと、そうそうたる顔ぶれが揃い、「華の堀越93年組」と呼ばれています。
高校時代はドラマ「左目探偵EYE」や「理想の息子」で主演を務めるなど、まさに多忙のピーク。学業との両立は想像以上に大変で、一時期は卒業も危ぶまれたそうですが、担任の先生の熱心なサポートで無事に乗り越えました。この頃の苦労や葛藤を乗り越えた経験が、彼の精神的な強さを育み、今のマルチな活躍に繋がっているのです。
現在の活躍に繋がるルーツ

山田涼介さんの子供時代から若い頃を振り返ると、それは一人のサッカー少年が、家族の愛と自らの努力でジャニーズのスターへと駆け上がっていく、感動的な物語です。秦野の自然豊かな環境で育まれた感性、サッカーで培った負けない心、家族という何よりの味方、そしてJr.時代の血のにじむような努力。そのすべてが、彼のパフォーマンスの深みや、役者としての表現力を生み出しているのです。
YouTube「LEOの遊び場」で見せる無邪気なゲーム姿や、カブトムシやトカゲを15匹も飼育するほどの爬虫類愛も、きっとこの好奇心旺盛な子供時代から続いているのでしょうね。
まとめ
山田涼介さんの物語は、東京・中野での誕生から始まり、神奈川・秦野でのサッカー漬けの日々、そして家族のユニークな後押しによるジャニーズ入所、最後は自らの努力で掴んだデビューという、ドラマチックな軌跡をたどります。
南が丘での学校生活、湘南ベルマーレのジュニアユースで味わった挫折と情熱、気さくな「親父」が営む焼肉屋、そして妹を想う深い愛情。これらすべてが、彼の人間味あふれる魅力の源泉です。
サッカー少年が歩んだ意外な道のりこそが、絶対的エース、俳優、そして一人の青年として輝き続ける山田涼介さんを形作っています。彼のこれからの活躍からも、ますます目が離せません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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