芸能バラエティ業界において、多くの人々がその名を知る土田晃之さん。
豊富な知識と鋭いツッコミで、数多くの番組に欠かせない存在となっています。
そんな土田晃之さんの高校時代はヤンキーだったことや、芸能界ではコンビ名ユータウンで相方と組んでスタートしていました。
土田晃之さんの経歴をwiki風にまとめてみました。
土田晃之のwiki経歴

土田晃之さんは、バラエティ番組などで「サッカー」「ガンダム」「家電」などさまざまなジャンルに精通したひな壇芸人のレギュラー出演に引っ張りだこでした。
現在はテレビのレギュラー出演を絞り、ラジオパーソナリティの番組が人気になっています。
土田晃之の中学生時代

土田晃之さんは、1979年まで東京都練馬区で過ごしました。
練馬区立南町小学校に通い、同じ小学校には、後に同じお笑い芸人の道に進むことになるワッキーさんも在籍していました。
1980年に埼玉県の大宮市(現在のさいたま市)に引っ越し、その後、大宮市立大砂土中学校に入学しました。
当時からすでにお笑い芸人を夢見ていましたが、クラスの人気者になるようなタイプではなく、一人でネタを考えてはひっそりと笑うような少年でした。
土建業を営む厳格な父親には頭が上がらず、家計が厳しいことから私立高校への進学は許されませんでした。
しかし、成績は芳しくなく、担任の先生から誰でも入れるような私立高校(埼工大深谷高校)を勧められます。
土田さんは父親に土下座をして頼み込み、なんとか入学を許可してもらいました。
土田晃之の出身高校

土田晃之さんは、1987年に埼玉工業大学深谷高等学校に入学しました。
高校時代も筋金入りのヤンキーで、リーゼントに鋭い目つきという近寄りがたい風貌だったそうです。

しかし、意外にも引きこもり気質で、ガンダムなどのアニメや漫画が大好きだったとのこと。
高校では、1年生の時に無期停学処分を受けるという波乱もありましたが、持ち前の負けん気で3年間を乗り切り、無事卒業しました。
ヤンキーでありながら、どこかオタクっぽさも持ち合わせていたというギャップが、後の土田さんの魅力の一つとなったのでしょう。
土田晃之の専門学校時代

高校卒業後、土田晃之さんは東京アナウンス学院のお笑いタレントコースに入学しました。
同級生によれば、演技はうまかったものの、稽古を何日もサボったり、漢字が読めずに台本を読むのに苦労するなど、意外な一面もあったようです。
専門学校時代は、テレビのエキストラのアルバイトをしていました。
「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!」や「志村けんのだいじょうぶだぁ」などの人気番組に出演し、体が大きくて目立つことから重宝されたそうです。
ヤンキー時代とは打って変わって、芸人としての道を歩み始めた土田さん。
エキストラの経験は、後の芸能活動に活かされることになります。
土田晃之はコンビ名ユータウンを結成し芸能活動をスタート

1991年、土田晃之さんは東京アナウンス学院在学中に、対馬盛浩さんと出会い、お笑いコンビ「U-turn」を結成しました。
「元不良と元生徒会長」という異色の組み合わせを武器に、1992年には初舞台を経験。
その舞台が好評だったことから、土田さんは「ダウンタウン?2年で抜いてやるよ!」と豪語するほどの自信を見せました。
その後、「GAHAHA王国」や「タモリのボキャブラ天国」などに出演し、人気を集めます。
しかし、1999年に「ボキャブラ天国」が終了すると仕事が激減し、2001年にはコンビを解散することになりました。
コンビ解散後、土田さんはピン芸人として再スタートを切り、現在に至ります。
土田晃之のwiki経歴!まとめ
今回は、土田晃之さんの経歴、中学や高校時代はヤンキーだったこと芸能界はコンビを組んでスタートしたなど調べてみました。
いかがでしたでしょうか。
土田さんは、やんちゃな青少年時代を送りながらも、お笑いの夢を抱き、様々な経験を積み重ねてきました。
コンビ解散という挫折を乗り越え、ピン芸人として確固たる地位を築いた土田さん。
持ち前のトーク力と鋭い視点、そして何事にも全力で取り組む姿勢が、多くの人々に愛される理由なのでしょう。
これからも、土田晃之さんの活躍に期待しましょう。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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