名前の由来は”大河ドラマ”⁉︎ 京本大我の運命を変えたスカウトと仲間との絆

SixTONESのメンバーとして、そして一人のアーティストとして、その輝きで多くの人を魅了する京本大我さん。歌手、俳優、タレントとして、彼の活躍はとどまるところを知りません。

1994年12月3日生まれの彼は、圧倒的な歌唱力と表現力を武器に、ミュージカルやドラマ、映画で唯一無二の存在感を放っています。さらに、シンガーソングライターやフォトグラファーとしても才能を開花させるなど、その多才ぶりでファンを惹きつけてやみません。

父は俳優の京本政樹さん、母は元アイドルの山本博美さんという芸能一家に生まれたことで、「二世タレント」として世に出た当初は、大きな注目を集めました。しかし彼は、自らの実力で「親の七光り」という声を乗り越え、確固たる評価を築き上げています。

この記事では、京本大我さんの10代にスポットライトを当てます。知られざる幼少期のエピソード、苦悩と成長の中学・高校時代、そして運命のスカウトからSixTONES結成までの道のりを辿りながら、彼の現在の人気と実力を形作った原点に迫ります。

目次

幼少期:意外な出会いと名前に込められた想い

東京都で、俳優の父・京本政樹さんと元アイドルの母・山本博美さんのもと、一人っ子として愛情いっぱいに育った京本大我さん。彼の「大我」という名前には、父・政樹さんの「大きな自分を持ってほしい」という深い願いが込められています。

その名付けには、面白い裏話があります。政樹さんが名前を考えていた時、偶然にも大河ドラマの仕事が舞い込みました。「“たいが”という響きはいいな。そうだ、“河”を“我”に変えてみよう」。この閃きが、「大我」という名前の誕生秘話です。

そんな彼には、今ではジャニーズの先輩であるHey! Say! JUMPの山田涼介さんとの可愛らしい思い出があります。家が近所だった二人は、幼稚園の頃、週に3回も豪徳寺の公園で会っていたのだとか。母親たちが見守る中、二人で夢中になって砂場でお城を作って遊んでいたそうです。後に京本さんが「絶対かわいいやつ…」と語ったこのエピソードは、二人の純粋な交流を物語る、ファンの間で有名な心温まる秘話です。

音楽への扉を開いたのも、父親の影響でした。小学生の時、父が描いた絵を元に作られた朱色や深緑のギターをプレゼントされたことが、彼の音楽への情熱に火をつけました。この経験が、後のシンガーソングライター活動や、SixTONESの楽曲「SUNRISE」のインスピレーションに繋がったと、彼自身が語っています。

運命のスカウトとSixTONESの夜明け

京本さんの運命が大きく動き出したのは、2006年5月4日、11歳の時。KAT-TUNのコンサート会場で、ジャニー喜多川氏から直接スカウトされたのです。

当時、成城学園初等学校の6年生だった彼は、父・政樹さんと一緒に見学に訪れていました。そこでジャニー氏に「YOU、ステージに上がっちゃいなよ」と声をかけられ、ステージに立ったその日が、ジャニーズ事務所への入所日となりました。

入所後すぐ、ジャニーズJr.内ユニット「Kitty Jr.」に選ばれ、活動をスタート。舞台経験も積み重ねていきました。しかし、当初は「二世」というレッテルを貼られることに、強い抵抗を感じていたといいます。その意識が変わったのは、2013年の舞台『滝沢演舞城』や『徹子の部屋』での親子共演がきっかけでした。父のプロ意識と実力を間近で目の当たりにし、心からの尊敬を抱くようになったのです。

この頃、運命の仲間たちと出会います。SixTONESのメンバーとなるジェシーさん、松村北斗さん、髙地優吾さん、森本慎太郎さん、そして田中樹さん。2012年のドラマ『私立バカレア高校』での共演が、彼らの絆の礎を築きました。

ドラマの成功を確信した6人は、ジャニー喜多川氏に「この6人でコンサートがしたい」と直談判。その熱意が実り、『Johnny’s Jr. Johnny’s Dome Theatre 〜SUMMARY〜』の開催が決定。そして2015年5月1日、『ジャニーズ銀座2015』のステージで、SixTONESの結成が正式に発表されたのです。京本さんの進むべき道が、はっきりと照らし出された瞬間でした。

中学時代:知られざる努力と歌声の原石

成城学園中学校に進学した京本さんは、ジャニーズJr.の活動と学業の両立に励む日々を送ります。同級生には、元ジャニーズJr.で俳優・植草克秀さんの息子である植草裕太さんもいたことが知られています。

この中学時代こそ、彼の歌唱力の基礎が築かれた大切な時期でした。当時、NEWSの手越祐也さんに強く憧れ、食事を共にし、歌の指導を受ける機会に恵まれます。この経験が、彼の代名詞ともいえるハイトーンボイスを磨き上げる、大きなきっかけとなりました。

部活動には所属せず、家庭教師をつけて勉強に打ち込み、なんと成績は学年トップクラスだったというから驚きです。この人知れぬ努力こそが、「二世」という色眼鏡を跳ね返す、彼の強さの源泉となっていったのです。

高校時代:転校、挫折、そして最高の相棒との出会い

高校は成城学園に内部進学したものの、芸能活動が多忙を極め、出席日数が足りず留年が確定してしまいます。大きな試練でしたが、彼は活動と学業を両立させるため、高校3年の秋、堀越高等学校のトレイトコース(芸能コース)へ2年生として転入するという苦渋の決断をしました。

しかし、この場所で運命の出会いが待っていました。SixTONESのメンバー、田中樹さんと同級生になったのです。偶然にも席は前後。二人は美術の授業で似顔絵を描き合ったり、時には屋上で授業を抜け出したりと、青春の1ページを共にしました。

当時、自分の歌声にコンプレックスを抱いていた京本さん。そんな彼に、田中さんがかけた「京本くん、歌声キレイっすよね」という一言が、自信を取り戻すきっかけになったという、心温まるエピソードも残っています。

堀越高校時代は、ドラマ『私立バカレア高校』や『仮面ティーチャー』、映画『忍ジャニ参上! 未来への戦い』など、俳優としてのキャリアを大きく飛躍させました。そして2015年、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役に大抜擢。その繊細な演技と歌声は高い評価を受け、ミュージカル俳優としての才能を一気に開花させました。

2014年2月に堀越高校を卒業。様々な経験を糧にした彼は、10代の集大成として、後のSixTONES結成へと繋がる道を力強く駆け抜けていきました。

まとめ:「親の七光り」を「実力」で乗り越えた軌跡

京本大我さんの10代は、決して平坦な道のりではありませんでした。「二世」というプレッシャー、学業との両立の壁、そして転校という大きな挫折。しかし彼は、その一つ一つを人知れぬ努力で乗り越え、自分だけの武器を磨き上げてきました。

幼い頃の偶然の出会い、仲間との絆、そして何より自分自身の力で道を切り拓こうとする強い意志。それら全てが、今の京本大我というアーティストを形作っています。「親の七光り」という言葉を、自らの「実力」と「魅力」で塗り替えた彼の物語は、これからも多くの人を惹きつけてやまないでしょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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