「OKバブリー!」の決めゼリフで、一躍お笑い界のスターダムに駆け上がった平野ノラさん。
現在はバラエティ番組はもちろん、母としての顔、さらにはバレーボールの普及活動など、多方面で活躍されています。
でも、あの「ノラ」というインパクトのある芸名に、実は芸能界を生き抜くための壮絶な決意が込められていたことをご存知でしょうか。
この記事では、彼女の芸名の由来から、お笑いの道を選んだ覚悟、そして遅咲きのブレイクを掴むまでの足跡を紐解いていきます。
芸名「ノラ」に込めた「ノラ猫」としての覚悟

平野ノラさんの「ノラ」という芸名。
その由来は、なんと「ノラ猫のように芸能界を一人で強く生き抜く」という、ご自身の強い決意から来ています。
以前、ご本人がInstagramで猫の写真と共に「#ノラの芸名の由来は#ノラ猫のように芸能界を強く生き抜く」と投稿し、大きな話題になりました。
飼い主のいないノラ猫に、厳しい芸能界でたった一人戦っていく自身を重ねたんですね。
ファンからも「かっこいい」「ステキ」と、彼女のタフな生き方に共感の声が集まりました。
さらに、もう一つの由来が。
それは、ヘンリック・イプセンの戯曲『人形の家』の主人公ノラ(Nora)です。
物語の主人公ノラは、古い慣習や家庭の枠を抜け出し、自立していく女性。平野さんも「一人でも芸能界を渡って行けるように」という願いを込めたそうです。
どちらの由来も、彼女の「覚悟の証」。
この決意が、後の長い苦労時代を乗り越える大きな支えになったようです。
31歳で再起!婚約破棄して選んだ「芸」の道

彼女の芸の道は、まさに波乱万丈でした。
高校卒業後にお笑い芸人を志したものの、オーディションは惨敗。夢を一度は諦め、OL、フリーター、飲食店、不動産会社員と職を転々とします。
不動産会社時代には、難関の「宅建」資格まで取得したというから驚きです。
しかし、お笑いへの夢を捨てきれず、31歳で再起を誓います。
その決意は凄まじく、当時結婚を約束した相手からのプロポーズを断り、婚約を破棄してまでお笑いの道を選びました。

2010年、ワタナベコメディスクール(13期生)に入学し、翌年10月にワタナベエンターテインメント(事務所)からデビューを果たします。
同期にはジャイアントさんなどがいますが、売れるまではもちろん苦労の連続。
番組で失敗し「日テレ出禁の危機」をマネージャーと乗り越えた話など、下積み時代のエピソードは尽きません。
当時の彼女を象徴するのが「断捨離」。
汚部屋の住人だったそうですが、部屋を片付けたことで運気が好転し、「自宅がパワースポットになる」と実感したとか。

「芸人になれるなら、どんな苦労も幸せ」
彼女のこの言葉こそ、芸名に込めた「ノラ猫精神」そのものです。
30代からの遅いスタートと多様な職歴が、逆に彼女の芸に深みを与えたのかもしれませんね。
独特の「セリフ」が炸裂!バブリーネタ誕生秘話

彼女の人生を大きく変えたのが、2013年末頃に生まれた「バブリー」ネタでした。
知り合いの作家に「ノラのネタってバブリーな感じ」と指摘されたことから、あの肩パッド入り衣装、ソバージュヘア、ショルダーフォンという唯一無二のスタイルが完成します。
先輩のふかわりょうさんプロデュースでCDデビューも果たし、そこから一気に火がつきました。
ネタの面白さは、なんといっても独特のセリフ。
「しもしも~?」「おったまげー!」「やっぴー!」「ぶっとび~!」など、バブル時代のフレーズを50音で繰り出します。

実はこれ、幼少期にお父さんが「土地転がし」をしていた体験からヒントを得たものだとか。当時のバブル回顧ブームとも重なり、彼女の芸は爆発的な人気を得ました。
ブレイク後はCMや雑誌、ドラマにも引っ張りだこになりました。
まさに、芸名に込めた決意が実を結んだ瞬間です。
まとめ:芸名「ノラ」は彼女の生き様そのもの
平野ノラさんの「ノラ」という芸名は、ノラ猫のような独立心と自立の象徴であり、芸能界を覚悟して生き抜く決意そのものでした。
婚約を破棄し、多くの苦労を乗り越え、31歳でデビュー。そしてバブリーキャラでブレイクした道のりは、「どんな苦労も幸せ」と語った彼女の強さを証明しています。
現在、母として、そして芸人として輝き続ける姿は、まさにその決意が人生を切り開いた結果ですね。
彼女の生き様に興味が湧いたら、ぜひ公式X(@hiranonora)をチェックしてみてください。きっと、明日への笑いと勇気をもらえるはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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