2025年、デビュー40周年という大きな節目を迎えた久保田利伸さん。
なんと、35年ぶりとなる「紅白歌合戦」への出場が決定しましたね!披露されるのは「Missing」「LA・LA・LA LOVE SONG」という色褪せない名曲たちと、最新曲「1, 2, Play」のスペシャルメドレー。往年のファンも、新しいリスナーも胸が熱くなること間違いなしです。
日本のR&Bシーンを切り拓き、ブラックミュージックをポップスに浸透させた第一人者。
そんな彼ですが、実はそのルーツを辿ると、「静岡の野球少年」という意外な素顔が見えてきました。
今回は、久保田さんがどのようにしてあのソウルフルなスタイルを確立したのか、生い立ちや若い頃のエピソード、そして伝説のデモテープの話まで、その原点を深掘りしていきます。
ファンキーなリズムの原点は実家にあり?静岡での生い立ち

久保田利伸さんの物語は、1962年7月24日、静岡県庵原郡蒲原町(現在の静岡市清水区)から始まります。
清水港にも近いこの町は、夏になれば盆踊りや地域イベントで賑わう、のどかで温かい場所。調査した限りでは、久保田さん本人が盆踊りで踊っていた…といった具体的なエピソードこそ見つかりませんでしたが、幼少期の彼は「猿」というあだ名がつくほど活発で、こうした地元の明るい空気をたっぷり吸い込んで育ったことは間違いありません。
そして、彼の「ファンキーさ」を語る上で外せないのが、ご家族の存在です。
ご実家は地元で青果店(八百屋さん)を営んでいました。特筆すべきは、お父様のキャラクター。お客さんを迎える時に、なんと指を鳴らす(フィンガーチップス)リズムに乗せて「らっしゃい!」と声を掛けていたそうです。これには久保田さん自身も「父親はファンキー」と認めるほど。あの抜群のリズム感は、このお父様譲りなのかもしれませんね。

また、音楽との最初の出会いは2人のお姉さんの影響でした。お姉さんたちが家で聴いていた沢田研二さんや歌謡曲、ポップスが、彼の耳を育てました。
ファンの間でも「久保田さんのルーツは家族にある」と言われるように、彼の音楽の土台は、この賑やかで温かい家庭環境で作られたのです。
「プロ野球選手」になりたかった!意外すぎるスポーツマン時代

「久保田利伸=R&B」というイメージが強いですが、若い頃の彼は、音楽と同じくらい、いやそれ以上に「野球」に情熱を注ぐスポーツマンでした。
幼少期からの夢はプロ野球選手。中学時代には、後に日本ハムファイターズで活躍する広瀬哲朗さんとチームメイトだったというから驚きです。
進学した静岡県立静岡商業高等学校(静岡商業)でも野球部に所属し、白球を追いかける日々を送っていました。簿記などの資格も取りつつ、本気でプロを目指していましたが、残念ながらレギュラー獲得には至らず、ここでプロへの夢に区切りをつけます。
しかし、この挫折は無駄ではありませんでした。
野球への熱い想いは、後に名曲「虹のグランドスラム」として形を変え、音楽の世界でホームランを放つことになります。今でも母校の同窓会で講演を行うなど、地元や野球部時代との絆を大切にしている姿も、彼の義理堅い人柄を表していますね。
ブラックミュージックへの覚醒と「HOTTENTOTS」

高校卒業後の1981年、駒澤大学経済学部に入学した久保田さんは、ここで本格的に音楽の道へと突き進みます。
軽音楽部ロック研究会に入り、羽田一郎さんとバンド「HOTTENTOTS(ホッテントット)」を結成。この頃にはすでに、あのアフロヘアーに口ひげというスタイルを確立し、1982年のコンテスト「EAST WEST ’82」ではベスト・ボーカリスト賞をさらうほどの注目を集めていました。
彼の音楽ジャンルの核となる「ブラックミュージック」への傾倒は、実は中学・高校時代に始まっています。
毎日スティービー・ワンダーを聴き込み、「和製スティービー・ワンダー」と称されるほどその歌唱法を吸収していきました。大学時代にはアフリカ研究会にも所属し、卒業論文のテーマに「アフリカの音楽」を選んだほど。
単なるファッションではなく、文化や歴史としての「ルーツ」を深く探求していた姿勢が、今の説得力ある歌声に繋がっているのでしょう。
業界を震撼させた「すごいぞ!テープ」とメジャーデビュー

大学卒業後の1985年、まずは作曲家としてキャリアをスタートさせます。
田原俊彦さんや小泉今日子さんといったトップアイドルに楽曲を提供しつつ、虎視眈々と自身のデビューを狙っていました。
ここで伝説として語り継がれているのが、デビュー前に作成されたデモテープ、その名も「すごいぞ!テープ」です。
スティービー・ワンダーの「Lately」のカバーなどが収録されたこのテープは、デモの域を超えた完成度で業界関係者を驚愕させました。X(旧Twitter)でも、いまだにこのテープの凄さが語られるほどです。

この才能が認められ、1985年にシングル「失意のダウンタウン」でCBS/SONYからメジャーデビュー。翌年にはファーストアルバム『SHAKE IT PARADISE』をリリースし、「TIMEシャワーに射たれて…」の大ヒットで一気にブレイクを果たします。
まとめ:40年の時を経て、再び輝く「純日本人」のソウル
久保田利伸さんの経歴を振り返ると、彼が単なる「R&Bシンガー」ではないことがよく分かります。
- 静岡の八百屋さんで育んだリズム感
- 野球に打ち込んだ直向きな情熱
- 研究者レベルで深めたブラックミュージックへの愛
これら全てが混ざり合い、「純日本人」としてのアイデンティティを持ちながら、世界レベルのグルーヴを生み出す唯一無二のスタイルが完成しました。
2025年の紅白歌合戦では、かつてカセットテープに夢を吹き込んでいた野球少年が、40年のキャリアを背負ってステージに立ちます。彼の歌声が世代を超えて響くのは、そこに確かな「ルーツ」と「物語」があるからこそ。
久しぶりの晴れ舞台、その一挙手一投足に注目しましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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