岸信介は何をした人?「天才」と「悪」で評価割れるワケ:どんな人物だったか多面的な視点で功罪に迫る

内閣総理大臣として、戦後日本の復興を力強く牽引した岸信介。

官僚としてもその名を馳せた彼は、日米安全保障条約の改定を推し進めるなど、独自の外交政策を展開しました。

その政治的な実績は大きく、国内外で様々な評価を受けています。

「戦後の日本の政治体制を形作った人」として、政治に関心のある方にはお馴染みの岸信介ですが、

最近、政治に関心を持ち始めた方にとっては、「どんな人?」「何をした人?」と、基本的なことがわからないかもしれません。

そこで今回は、岸信介に興味を持ち始めた方が、一般知識として押さえておきたいポイントをわかりやすく解説します。

目次

岸信介とはどんな人?その素顔と評価

波乱万丈な経歴

  • 生年月日: 1896年(明治29年)11月13日
  • 出身地: 山口県
  • 学歴: 東京帝国大学法学部卒業
  • 官僚時代: 農商務省(後の商工省)に入省し、商工行政のエキスパートとして活躍しました。
  • 政治家への転身: 戦後、公職追放が解除された後の1953年、衆議院議員に初当選。その後、自由民主党の重鎮として、日本の政治を動かしました。

評価が分かれるその人柄

岸信介は、若い頃から「頭が切れる、行動力がある」と評判でした。

「天才的な官僚」「昭和の妖怪」など、様々な呼び名があり、その能力は、官界や政界で広く知られていました。

しかし、目標達成のためには強引な手段を取ることもあり、「独裁的だ」「強権的だ」と批判されることもありました。

一方で、その決断力や先見性を評価する声も多く、評価は大きく分かれています。

岸信介は何をした人?主な業績と知っておくべきこと

戦前:満州国での活動、そして官僚としてのキャリア

岸信介は、1930年代に満州国(現在の中国東北部)に渡り、経済や産業政策を担当しました。

満州国の国策会社や経済開発を主導し、その実務能力の高さを発揮しました。

阿片(アヘン)疑惑との関わり

満州国では、麻薬(阿片)を使った資金政策が行われていたとされ、「岸信介も満州の阿片政策に関与していたのではないか」という疑惑がささやかれています。

しかし、岸信介が積極的に麻薬ビジネスを推進したという公式な記録はありません。

当時の政策責任者としての立場から、「国家財政の一部に阿片の販売益が組み込まれていた」という歴史的な背景と合わせて議論されることが多いです。

ポイント: 当時の満州国では、阿片取引から得た利益が軍事や行政に使われていたという研究があります。

岸信介が、制度設計や政策に一部関わっていた可能性は指摘されており、「功罪」の「罪」として数えられることがあります。

戦後:内閣総理大臣就任(1957年~1960年)

高度経済成長の礎を築く

岸内閣の時代(特に1957年から1958年頃)は、池田勇人らとともに、日本の戦後復興期から高度経済成長期へと移行するための基礎となる政策を推し進めました。

例えば、日米協力の枠組みを強化したり、国際貿易を拡大したりすることで、日本企業の輸出を後押しする政策を行ったと言われています。

日米安全保障条約(安保条約)改定を強行

岸信介の最も有名な業績が、1960年の日米安全保障条約の改定(新安保条約)です。

国会での審議では強行採決も行われ、国内外で大規模な反対運動が起こりました。

  • 改定の目的: 1951年のサンフランシスコ講和条約と同時に締結された旧安保条約に比べ、日本の自主性や相互防衛の義務などを明確にすることで、アメリカの一方的な駐留を是正する目的がありました。
  • 国内の反発: 当時の日本では、左派勢力を中心に「軍事的にアメリカに依存し、戦争に巻き込まれるリスクが高まるのではないか」という懸念が噴出しました。
    岸政権の強硬な姿勢も重なり、反岸運動は急速に拡大しました。
  • 結果: デモは過激化し、岸信介は退陣に追い込まれましたが、新安保条約は成立しました。

これが、その後の日本の対米関係や安全保障政策の基礎となったことは事実です。

岸信介はどう評価されているのか?功績と残された課題

評価:「天才」か「悪い人」か、それとも…?

岸信介の政治手腕や、官僚としての仕事ぶりは、同時代の人々からも一目置かれていました。

「天才」とも呼ばれた一方、戦時下や戦後復興期における辣腕ぶりから「妖怪」と呼ばれたり、独裁的な面を批判されたりすることもあり、評価は大きく分かれています。

「悪い政治家」「強権的」というイメージ

日米安保改定をめぐる国会での強行採決や、戦時中の官僚としての活動から、「悪い政治家」「強引」というイメージが定着した面もあります。

公職追放解除後すぐに政界復帰したことなどから、一部では「A級戦犯容疑者から総理へ」という厳しい批判もありました。

功罪:経済復興と国際的な基盤づくり、一方で残る影

功績

  1. 戦後経済の基盤を強化: 池田勇人らの政策とともに、日本の高度経済成長期へ移行する足がかりを作りました。
  2. 日米関係を再構築: 新安保条約を通じて、形式的には対等な関係性を高め、日本の国際社会への復帰や、欧米諸国との貿易拡大を一気に進める基盤を整えました。

課題

  1. 強権的な政治手法: 安保闘争での国会強行採決に象徴されるように、内閣と議会、そして世論との対立を深刻化させました。
  2. 戦前の活動への批判: 満州国時代の政策立案や、阿片政策に関わる疑惑は、結果として日本の侵略戦争を支える経済基盤を築いたという見方もあります。

なぜ今、岸信介が注目されるのか?

戦後レジームの根幹を作った人物

岸信介が推し進めた日米安保や経済政策は、その後の日本の政治・外交の基本路線となりました。

「戦後レジーム」という言葉で語られる日本の枠組みは、まさに岸信介の時代に固まった部分が大きいとされています。

若い世代の政治への関心の高まり

SNSやメディアの発達により、現代の政治と過去の政治を比較検討する若者も増えています。

岸信介の政治手法や功罪に注目することは、「日本の現在地を理解するため」にも重要な材料と言えるでしょう。

岸信介を知るためのポイント

ホワイトハウスで談笑する岸信介首相とアイゼンハワー大統領
  1. どんな人?: 昭和を代表する政治家であり、官僚。頭脳明晰でありながら、強権的かつ大胆な手腕で「昭和の妖怪」と呼ばれました。
  2. 何をした?: 戦前は満州国の経済政策に関わり、戦後は総理大臣として日米安保改定を強行。高度経済成長への礎を築きました。
  3. 評価は?: 独裁的な手法を批判する声がある一方で、戦後復興や国際関係の再構築に貢献した「功労者」という評価もあります。
  4. 功罪は?:
    • : 日本経済の基盤整備や対米関係の強化
    • : 強引な政治手法や戦前の活動に伴う国際的・国内的な批判
  5. 阿片(アヘン)疑惑とは?: 満州国時代の政策と財政基盤の問題が取り沙汰されています。戦後の政治家としての評価においても、論争の的となっています。

おわりに

岸信介は、戦後日本の政治と経済の枠組みを作り上げた中心人物の一人です。

その一方で、戦前の活動や、戦中・戦後すぐの動きも含め、「功罪」や「評価の二極化」が今なお続いています。

若い世代を含め、政治を学ぶ上で岸信介を知ることは、日本が歩んだ戦後復興と、国際社会における立ち位置を理解する上で有益でしょう。

今後、さらに多角的な資料や研究が蓄積されれば、岸信介という人物の評価も、さらにアップデートされる可能性があります。

以上が、岸信介に関する基本的な知識と、押さえておきたいポイントです。

彼の歩みを振り返ることで、現代日本に続く政治・経済の仕組みの源流を再認識し、同時に、賛否両論の評価が生まれる理由も理解しやすくなるでしょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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