1979年、デビュー曲「異邦人」で140万枚を超える大ヒットを記録し、一躍スターダムに駆け上がった久保田早紀(現・久米小百合)。彼女は当時を代表するシンガーソングライターの一人でした。
しかし、人気絶頂だった1985年、わずか26歳で芸能界を引退。本名の「久米小百合」として、キリスト教音楽家という全く異なる道へ進みます。2025年6月にアナログ盤が発売され再び注目を集める今、多くの人が疑問に思うでしょう。
彼女はなぜ栄光の「久保田早紀」という名を捨て、全く新しい人生を選んだのでしょうか。謎に満ちた引退の真相、そして現在の活動まで、その歩みを紐解いていきます。
久保田早紀の輝かしいキャリア

鮮烈なデビューと「異邦人」の大ヒット
1958年生まれの久保田早紀は、幼い頃から音楽に親しみ、特に父親の影響で聴いた中東の音楽が、後の彼女の世界観を形作ります。短大在学中に応募したデモテープがきっかけでCBSソニーと契約し、1979年に「異邦人」でデビュー。この曲はCMソングとしてお茶の間に流れ、誰もが口ずさむミリオンセラーになりました。
デビューアルバム『夢がたり』はオリコン7週連続1位という快挙を達成。その後も『天界』や『サウダーデ』など、彼女にしか作れない独自の世界観を持つ作品を次々と発表。『ザ・ベストテン』などで見せた神秘的な美貌と透き通る歌声は、多くの人々を魅了しました。
人生を変えた「信仰」との出会い
しかし、多忙を極める中で彼女の心には「本当にやりたい音楽とは何か」という問いが芽生え始めます。その転機となったのが、1981年のキリスト教の洗礼でした。
もともと幼少期に教会の日曜学校に通い、賛美歌に親しんでいた彼女。そんな彼女の心を揺さぶったのが、クリスチャンの先輩ミュージシャン・小坂忠氏の「ティッシュペーパーみたいに消費される曲を、いつまでも作る必要はない」という言葉でした。この一言が、彼女の生き方を大きく変えるきっかけとなったのです。
なぜ人気絶頂で芸能界を引退したのか
引退の理由:商業音楽との間にある深い葛藤

久保田早紀が芸能界を引退した一番の理由は、商業音楽の世界と、自身の信仰や音楽への純粋な想いとの間で、心をすり減らしてしまったからです。
自伝『ふたりの異邦人』には、信仰を公にできず、宗教的な歌詞を書けば「商業的でない」と批判されることへの苦しみが綴られています。「お客様が神様」という世界の価値観と、「神のために歌う」という自分の心が、激しく対立したのです。
「このままでは、自分自身が壊れてしまう」。そう感じた彼女は1985年、26歳で「久保田早紀」の名を捨てるという大きな決断を下します。この引退は世間に「なぜ消えた?」と大きな衝撃を与えましたが、彼女自身にとっては、スターの喧騒から離れ「無名になることの素晴らしさ」を発見する、希望に満ちた新たなスタートでした。
結婚という、もう一つの大きな転機

1984年、彼女は音楽家の久米大作氏(俳優・久米明さんの次男)と結婚します。同じ事務所に所属し、彼女が彼のファンだったことがきっかけで交際に発展しました。
当初クリスチャンではなかった夫も、結婚を機に信仰の道へ。価値観を共有できるパートナーの存在が、彼女の背中を力強く押しました。この結婚が引退のタイミングと重なり、新しい人生を歩むための大きな支えとなったのです。
「久米小百合」として生きる道を選んだ理由

「久保田早紀」という名前は、彼女に成功をもたらした一方で、商業的な成功という重荷を背負わせる存在でもありました。彼女が本名「久米小百合」として生きることを選んだ背景には、切実な想いがありました。
- 本当に歌いたいことを、自由に歌うため
- スターではなく、ひとりの人間として純粋に音楽を分かち合うため
- 過去と決別し、夫と共に新しい人生を歩み出すため
この決断は、彼女が単なる「異邦人」の歌姫から、人生の旅人として“本当の自分”を見つけるための、大切なプロセスだったのかもしれません。
現在の活動は?「久米小百合」としての今

引退から30年以上、久米小百合はキリスト教音楽家として、実に多彩な活動を続けています。
1. 教会でのコンサート活動
全国各地の教会で、音楽とアートを組み合わせた「チャペルコンサート」を開いています。賛美歌はもちろん、時にはリクエストに応えて「異邦人」を披露することも。聖書のメッセージを音楽に乗せて、聴く人々と心を通わせています。
2. 「バイブルカフェ」で教え、語る
カルチャーセンターなどで、聖書をカジュアルに学ぶ「バイブルカフェ」の講師も務めています。オリーブオイルソムリエの資格を活かしたユニークな講座は、「主婦目線で親しみやすい」と大人気です。
3. 「神のための音楽」をリリース
キリスト教音楽家として、信仰に基づくメッセージを込めたアルバムも発表。ゴスペルシンガーとコラボするなど、現代的なサウンドで新しい賛美歌の世界を届けています。
4. 自身の経験を分かち合う講演活動
自身の人生や、母の看取り、子育ての経験などを交えながら、音楽と信仰をテーマにした講演も行っています。その飾らない言葉は、多くの人々の共感を呼んでいます。
5. 「久保田早紀」として、再びステージへ
2020年には、なんと36年ぶりに「久保田早紀」としてコンサートに出演し、往年のファンを感動させました。2025年のアナログ盤リリースも、過去の名曲と現在の彼女をつなぐ架け橋となっています。
おわりに:「異邦人」から「神の歌い手」へ
久保田早紀が絶頂期に引退した理由は、商業音楽の世界で純粋な心を失いたくないという、強い葛藤からでした。
「久保田早紀」の名を捨て、「久米小百合」として生きる道を選んだ彼女。その現在の活動は、温かい人間性と深い信仰に満ちています。
「異邦人」として人生の旅を続けた彼女が、ついに見つけた安住の地。その歌声は今、全く違う形で、しかし変わらぬ透明感をもって、多くの人の心に届けられています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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