SixTONESのメインボーカルとして、そして帝国劇場の舞台で主演を務めるミュージカル俳優として、圧倒的な存在感を放つ京本大我さん。その華麗な経歴は、俳優としての活躍にも大きな期待を寄せさせます。
しかし、ミュージカルでの絶賛とは裏腹に、テレビドラマでの彼の演技には、時に手厳しい評価が下されることがあります。なぜ、彼の演技は「上手い」と「下手」という、真っ二つの評価に分かれてしまうのでしょうか。その謎を解き明かします。
なぜ?「演技下手」「棒読み」と酷評された夜

2024年5月4日、新作ドラマ『霊験お初〜震える岩〜』が放送された夜。X(旧Twitter)には、こんな辛辣な一言が投稿されました。

この投稿に呼応するように、SNS上では「棒読みで内容が入ってこない」「表情が変わらなくて、役が生きているように見えない」といった厳しい意見が飛び交いました。
特に、時代劇という特殊な舞台設定での彼のセリフ回しや所作が、一部の視聴者に「不自然だ」という印象を与えてしまったようです。ミュージカルではあれほど輝く彼が、なぜテレビドラマでは「演技下手」とまで言われてしまうのでしょうか。
舞台と映像は別競技。ミュージカル俳優が抱える「壁」

その最大の理由は、「舞台」と「映像」で求められる演技が、全くの別物であるという点にあります。
野球とサッカーくらい、ルールも技術も違うこの二つの世界。京本大我さんが長年かけて極めてきたのは、ミュージカルという「舞台」の言語です。
舞台では、最後列の観客にも届くように、セリフは明瞭に、感情は少し大きく表現する必要があります。声の張り方、体の使い方、そのすべてが「劇場で映える」ように最適化されています。

しかし、この「舞台の常識」は、テレビカメラの前では通用しません。カメラは、俳優のほんの僅かな目の動きや、吐息のような声さえも捉えます。舞台と同じ表現をすれば「大げさ」に映り、逆にそれを抑えようとすると「表情がない」「棒読み」に見えてしまうのです。
彼が「演技下手」と評されたのは、スキルがないからではありません。異なる競技のルールに、必死に適応しようとしているトップアスリートの姿だったのです。
挑戦を続ける彼の「現在地」。批判さえも成長の糧に
もちろん、彼もこの「壁」に気づいていないわけではありません。むしろ、誰よりもその難しさを痛感し、もがきながら挑戦を続けています。

例えば、ドラマ『束の間の一花』で彼が演じた、物静かで哲学的な青年役は、多くの視聴者から「ハマり役だ」と絶賛されました。彼の持つ繊細な空気感と、役柄が完璧にシンクロした好例です。これは、彼が自分の強みを活かせる役柄を的確に見極め、映像のフィールドでも結果を出せることの証明に他なりません。
『霊験お初』での挑戦は、彼にとって新たな引き出しを開けるための、勇気ある一歩でした。時代劇特有の言葉遣いや所作は、彼にとって未知の領域。その中で、完璧ではなかったかもしれませんが、彼の真摯な取り組みは、俳優としての彼の「現在地」を示しています。
批判の声を浴びながらも、安全な場所に留まらず、果敢に新しい役柄に挑み続ける。その姿勢こそ、京本大我という表現者の最も誠実で、応援したくなる部分ではないでしょうか。彼の物語は、まだ始まったばかり。今日の批判は、明日の喝采への、大切な糧となるはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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