体操界の新星、体操女子日本代表のエースとして期待される宮田笙子選手。
彼女の名前は、体操競技の世界で急速に知られるようになりました。
しかし、彼女の実力は一夜にして訪れたものではありませんでした。
そんな宮田笙子さんですが、オリンピック出場決定まで、左太ももの怪我を始め数々の怪我に悩まされた道のりでした。
彼女の可愛らしい表情からは想像つかない不屈の闘志と決意は、私たちに感動と勇気を与えてくれるでしょう。
それでは、ご案内いたします。
宮田笙子の経歴

2019年中学3年の秋、宮田さんは進路で大きな決断をしました。
田野辺満監督の体操指導を仰ぐため、地元である京都を離れ福井県の鯖江高校に入学します。
2023年に千葉県印西市にある順天堂大学スポーツ健康科学部に入学しました。
宮田笙子の演技の強み

宮田笙子選手は、脚力と瞬発力を生かしたダイナミックな演技が特徴。
跳馬は、高難度の「ユルチェンコ2回ひねり」がお得意。
ゆかは、H難度の大技で伸身2回宙返り1回ひねりの「チュソビチナ」など難度の高い技もこなします。
平均台は、2022年ケガを乗り越えて世界選手権に出場した際、平均台で銅メダルを取った安定の種目。
段違い平行棒では、同じく怪我の影響を受けず、E難度のマロニーハーフを安定した演技で披露
宮田笙子選手は、真のエースとして貫禄ある実力を示す存在です。
宮田笙子の体操競技大会の実績

2018年3月 カナダ国際(モントリオール)で国際大会初出場、個人総合で10位
2018年4月 ジュニア・アジア大会(インドネシア)出場して、種目別の跳馬で3位
2019年6月 第1回世界ジュニア体操競技選手権大会(ハンガリー)代表選出
2022年4月 第76回全日本体操個人総合選手権 2位入賞
2022年5月 第61回NHK杯体操「女子個人総合」優勝、世界選手権代表選出
2022年11月 2022世界体操競技選手権、個人総合8位、平均台は銅メダル
2023年4月 第77回全日本体操個人総合選手権 2位入賞
2023年5月 第62回NHK杯体操「女子個人総合」優勝、連覇
2024年4月 第78回全日本体操個人総合選手権 優勝
2024年5月 第63回NHK杯体操「女子個人総合」優勝、3連覇、パリ五輪権獲得
※(コロナ禍・・2020年始め~2022年春)
宮田笙子の活動は、確実に力強い実績を残していました。
この華々しい活躍の裏で、宮田さんは怪我に悩まされ続けていました。
宮田笙子、怪我との闘い

2022年3月 肘をケガ
2022年4月の全日本選手権、1か月前に、肘をケガしてしまいました。
2023年2月 右かかとの疲労骨折
立つこともままならない状態。ましてや、体操の着地など論外。
医者から「このまま続けたら体操ができなくなる」と言われるほどの深刻な状態。
練習量を大幅に落とし、特に足の負担が大きい“ゆか”からは約1カ月間も遠ざかりました。
それでも彼女は、諦めなかった。
2023年4月に行われた全日本選手権に強行出場します。
なぜなら、この年の9月にベルギーで開催される世界選手権の出場権が失われるからでした。
2024年4月 左足の太もも内転筋を負傷
左足の太ももを痛めながら、4月の全日本と5月のNHK杯の両方の大会に臨みます。
この2つの大会は、パリ五輪行きの切符を賭けた試合でした。
結果、両方の大会とも優勝しパリオリンピックの出場権を獲得しました。
オリンピックの代表に内定した宮田笙子選手は、ケガの状態について
コンディションは悪くない。ケガも残ってはいるが、だんだん良くなっている。まだ上げられる部分はある
と語りました。
同じく怪我に苦しんだ男子のエース橋本大輝選手も宮田選手には舌を巻いたと言います。
僕より宮田さんの方がけがの度合いはしんどかったと思う。その中で4種目ともミスなくやったのは本当に凄い
と後輩の宮田さんを称えました。
宮田笙子は、チームを引っ張る主将としてパリオリンピックに出場

宮田笙子さんは、NHK杯の女子総合で3連覇を果たし、夢舞台への切符をつかみました。
今まで幾度か怪我と向き合いながらも世界と渡り合う実力を身に着け、日本体操女子のエースの地位を確固たるものにしました。
女子代表メンバー5人全員初出場は、1984年ロサンゼルス五輪以来ということです。
そして全員が10代は、今回初めて。
初出場ながら体操女子エースの宮田選手は、五輪では主将の重責も担います。
【体操】宮田笙子は左太ももの怪我に耐えパリオリンピックを掴む、まとめ
今回は、宮田笙子さんの、オリンピック出場決定まで、左太ももの怪我を始め数々の怪我に悩まされたことについて調べてみました。
いかがでしたでしょうか。
宮田笙子選手は、幼少期から体操競技を始め、その才能と努力で数々の大会で輝かしい成績を残してきました。
しかし、その道のりは決して平坦なものではなく、度重なる怪我との闘いでもありました。
彼女は決して諦めず、不屈の精神で見事パリオリンピックへの切符を手にしました。
パリオリンピックでの彼女の活躍は、きっと多くの人々に感動と希望を与えるでしょう。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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