女性ラッパーとしてだけでなく、シンガーソングライター、そして音楽プロデューサーとして日本の音楽シーンを牽引し続けるちゃんみなさん。「練馬のビヨンセ」の愛称で親しまれる彼女が、ついに2025年のNHK紅白歌合戦(第76回)への初出場を決めました!これには「やっと来た!」と胸を熱くしたファンも多いはずです。
ジャンルに縛られない自由なスタイル、心に突き刺さるリリック、そして見る者を圧倒するパワフルなパフォーマンス。自身のルーツや痛みを包み隠さず表現するその姿勢は、多くの人の心を掴んで離しません。
でも、そんな彼女の華々しい活躍の裏には、実は複雑な生い立ちや、決して平坦ではなかった幼少期の経験がありました。
今回は、紅白出場でさらに注目を浴びるちゃんみなさんのバックグラウンドを徹底調査。「なぜトリリンガルなのか?」「本名や国籍は?」といった疑問から、意外なデビューのきっかけまで、キーワードを交えてわかりやすく解説していきます。
ちゃんみなってどんな人?「練馬のビヨンセ」と呼ばれる理由と本名の秘密

まずは、ちゃんみなさんの基本プロフィールから見ていきましょう。
実は彼女の本名は「乙茂内 美奈(おともない みナ)」といいます。「乙茂内」という苗字、なかなか珍しいですよね。初見で読める人は少ないかもしれません。この本名から「ちゃんみな」という芸名が生まれたのは、響きの良さと親しみやすさを大事にしたからでしょう。
1998年10月14日に韓国で生まれた彼女は、日本人の父と韓国人の母を持つハーフ。国籍は日本です。
そんな彼女についた異名が「練馬のビヨンセ」。
このインパクト抜群の愛称は、彼女が東京都練馬区で育ったことに由来します。練馬区のどこに住んでいたかまでは特定されていませんが、彼女自身が「練馬育ち」であることを誇りに思っているのは間違いありません。世界の歌姫・ビヨンセのような圧倒的な歌唱力と存在感を、練馬から発信しているという意味が込められているんですね。

また、彼女の大きな武器といえば「トリリンガル(3ヶ国語)」であること。
日本語、韓国語、英語を自在に操る彼女ですが、「なぜトリリンガルなの?」と疑問に思う方もいるでしょう。その理由は、幼少期からの多文化な環境にありました。
- 韓国語: 生まれてから3歳まで韓国で過ごし、家庭内でも母国語として使用。
- 日本語: 3歳以降、日本(練馬)での学校生活で習得。
- 英語: 幼少期にアメリカを行き来する生活を送っていたため、自然と身についた。
特に「なぜ英語まで話せるの?」という点については、アメリカでの生活経験がカギになっています。この語学力が、ヒップホップやR&B、ポップスを融合させた彼女独自の音楽スタイルを支え、世界中のファンを熱狂させるグローバルな魅力に繋がっているのです。
なぜバレエからラップへ?母親の影響と壮絶な生い立ち

ちゃんみなさんのルーツを語る上で欠かせないのが、ご家族、特にお母様の存在です。
実は彼女のお母様は、韓国人の元バレリーナ。バレエを仕事にしていたプロフェッショナルです。
「実家は裕福だったのでは?」という噂もありますが、具体的なエピソードは語られていません。ただ、お母様の影響で3歳からバレエ、ピアノ、ヴァイオリンを習っていたそうで、かなり芸術的な教育に力を入れたご家庭だったことがうかがえます。
1歳半ですでに「歌手になる」と決めていたという逸話もあり、幼い頃からただならぬ才能の片鱗を見せていました。
しかし、そんな「お行儀の良いクラシック漬け」の生活が一変します。
きっかけは小学校2年生の時。K-POPグループBIGBANGの「Haru Haru」のMVを見たことでした。その衝撃があまりに強く、彼女はクラシックからヒップホップへとまさかの転向を決意します。

小学校5年生のダンス発表会で歌を披露し、作詞もスタート。一見順調そうに見えますが、実は小学校時代には不登校を経験した時期もあったそうです。母校がどこか具体的な学校名は伏せられていますが、多感な時期に「居場所がない」と感じた痛みや孤独が、後の歌詞作りに大きな影響を与えているのかもしれません。
また、「ギャル時代」についても気になりますよね。ティーンエイジャーの頃には雑誌『Popteen(ポップティーン)』に関わっていた形跡もあり、当時のギャル文化を吸収しながら、自分のスタイルを模索していたようです。日韓の文化、そしてクラシックとヒップホップ。この複雑な「混ざり合い」こそが、ちゃんみなさんのアイデンティティなのです。
デビューのきっかけは「落ちたオーディション」?18歳での飛躍

ちゃんみなさんが本格的にラップを始めたのは高校1年生の頃。
最初は「韓国で歌手になりたい」という夢を持っていましたが、周囲の反対もあり日本で活動することを決意します。
ここで有名なのが、「第9回高校生RAP選手権」への出場です。
実はこの大会、彼女は2回戦で敗退しています。普通ならここで心が折れてしまいそうですが、ちゃんみなさんは違いました。この「落ちたオーディション」での悔しさが、逆に彼女の闘志に火をつけたのです。
その悔しさをバネに、2016年に18歳でインディーズデビュー。シングル「未成年 feat. めっし」がいきなりiTunesヒップホップチャートで1位を獲得し、一躍時の人となりました。

デビュー年齢が若く、生意気なキャラクターに見られたこともあり、当時はネット上で激しい誹謗中傷を受けたことも。しかし、彼女はその批判すらもエネルギーに変え、突き進んできました。
ラップバトルでの知名度、そして自主制作での実力証明。これらが重なり、彼女は瞬く間にスターダムへと駆け上がっていきます。
売れたきっかけから紅白へ!現在の拠点と結婚後の生活

彼女が「売れたきっかけ」として決定づけたのは、2017年のメジャーデビューアルバム『未成年』でしょう。ここでオリコン上位に食い込み、初のワンマンライブも成功させました。
その後も『Never Grow Up』『ハレンチ』『Naked』とヒット作を連発。最近ではBMSGとのガールズグループ・プロジェクト「No No Girls」のプロデュースや、新星アーティスト「HANA」のプロデュースなど、裏方としての才能も開花させています。
プライベートでは、2024年7月に韓国人ラッパーのASH ISLANDさんと結婚し、11月には第一子を出産。
これに伴い「韓国在住なの?」「拠点はどこ?」と気になっている方も多いはず。
実際には、日本と韓国の両方に家を持ち、行き来する生活を送っているようです。ただ、インタビューなどでは「活動の主な拠点は日本」と語っており、日本での仕事を軸にしつつ、母国である韓国での生活も大切にしているというスタイルが現在のようです。

2025年の紅白出場は、そんな彼女の「国境もジャンルも超えた活動」が認められた証と言えるでしょう。ソニーへの移籍やNO LABELの再始動など、まだまだ勢いは止まりません。
まとめ:ちゃんみなの魅力は「痛み」をパワーに変える強さ
ここまでちゃんみなさんのバックグラウンドを深掘りしてきました。
- 練馬のビヨンセ: 練馬育ちの誇りと圧倒的なスキル。
- トリリンガル: 日本、韓国、アメリカでの実体験がベース。
- デビューの原点: バレエからヒップホップへの転向と、オーディション敗退の悔しさ。
- 現在: 母国韓国との繋がりを大切にしながら、日本を拠点に世界へ発信。
ちゃんみなさんのすごさは、不登校や挫折、誹謗中傷といった「痛み」を隠すのではなく、すべて音楽というパワーに変えてしまうところにあるのではないでしょうか。
2025年の紅白歌合戦、彼女がどんなパフォーマンスで日本中を驚かせてくれるのか、今から楽しみで仕方ありません!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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