木村拓哉の出身地は調布?大阪?千葉?育ちの真相を徹底解明!小学校・中学・高校(こてはし→代々木)まで総まとめ!

元SMAPのメンバーとして、そして現在は俳優、歌手として、日本のエンターテイメント界のトップを走り続ける木村拓哉さん。

ドラマに出れば高視聴率を記録し、そのカリスマ性で常に時代を象徴する存在ですよね。

でも、そんなキムタクですが、「結局どこ出身なの?」という疑問の声、意外と多くないですか?

「東京の調布って聞いたけど…」「いやいや、大阪でしょ?」「千葉の真砂あたりで育ちって話もあるし…」など、ネット上でも情報が入り乱れています。

ファンの方にとっても、彼がどの土地に愛着を持っているのかは気になるところかもしれません。

この記事では、そんなキムタクのルーツを徹底調査!彼が生まれた調布の団地時代から、

一時的に住んだ大阪・箕面、そして青春時代を過ごした千葉の真砂・磯辺エリアでの小学校・出身中学時代、

さらに高校(こてはし高校から代々木高校へ)時代までを時系列で追いかけ、

彼がどこで生まれ、どこで育ち、どこを「ホーム」と感じているのか、その真実に迫ります!

目次

出生と幼少期(1972年~1970年代中盤):ルーツは調布にあり!

東京都調布市の町並み
  • 出生地:東京都調布市
    まず結論から! キムタクこと木村拓哉さんの出生地は、東京都調布市です。これは、複数のプロフィール情報や、ご本人がラジオ番組『木村拓哉 Flow』で「俺、調布で生まれたんだよね」と語っていることからも間違いありません。(出典:Victor Entertainment 2020年1月8日放送回)
  • 幼少期の居住地:調布市内の団地
    「調布のどこ?」という疑問に対しては、具体的な場所までは特定されていませんが、幼い頃は調布市内の団地で過ごした、と本人がラジオで明かしています。(出典:Victor Entertainment 2019年9月29日放送回) この団地での遊びの思い出が、彼の原風景の一つなのかもしれませんね。
大阪府箕輪市の町並み
  • 一時的な引っ越し:大阪・箕面へ
    では、「大阪出身」という噂はどこから来たのでしょう? 実は、これも本人が語っているのですが、幼稚園の頃(1975年~76年頃)、ご家族のお仕事の都合で一時的に大阪府箕面市に住んでいた時期があったそうです。(出典:GYAO!『木村さ〜〜ん!』2018年8月5日配信回)

    ただ、これは本当に短い期間だったようで、すぐに東京(調布)に戻っています。なので、「大阪出身」というのはこの一時的な滞在からくる誤解のようですね。キムタクがテレビなどで見せる自然な関西弁も、この誤解を招いた一因かもしれません。

小学校時代(1979年頃~1985年頃):育ちのベースは千葉・美浜区

  • 小学校:千葉市立磯辺第二小学校
    調布生まれ、一時箕面にいたキムタクですが、小学校に上がる前(1978年頃)には、千葉県千葉市に引っ越しています。そして通っていた小学校は、「千葉市立磯辺第二小学校」です。これは、YouTubeチャンネル『木村さ〜〜ん!』で本人が話していました。(出典:木村拓哉YouTubeチャンネル 2023年3月4日配信回)
    (※磯辺第二小学校は、現在は統合により千葉市立磯辺小学校となっています。)
  • 居住地:千葉市美浜区(真砂・磯辺エリア)
    小学校があるのは千葉市美浜区の磯辺。キムタクが育ったのもこのエリアで、近くには「真砂(まさご)」という地名もあります。ラジオでは「小学校時代は千葉の海の近くで育った。磯辺ってエリアで、よく海で遊んでた」と、楽しかった思い出を語っています。(出典:Victor Entertainment 2019年9月29日放送回) この千葉での約9年間の暮らしが、彼の「育ち」のベースとなっていきます。

中学校時代(1985年頃~1988年頃):青春時代も千葉で

  • 中学校:千葉市立磯辺第一中学校
    小学校に続き、出身中学も千葉市美浜区にある「千葉市立磯辺第一中学校」。こちらもYouTubeチャンネルで本人が明かしています。(出典:木村拓哉YouTubeチャンネル 2023年3月4日配信回)
  • 中学校時代のキムタク
    この頃のキムタクは、剣道部に所属し、なんと千葉県の大会で優勝するほどの実力だったとか! それだけでなく、器械体操部にも所属したり、絵画コンクールで入賞したりと、当時から多才ぶりを発揮していたようです。まさに文武両道、活発な青春時代を千葉の磯辺で送っていたんですね。

高校時代と芸能界入り(1988年~1989年頃):千葉から東京へ

  • 高校1年:千葉県立犢橋(こてはし)高等学校
    そして高校。キムタクが1年生の時に在籍していたのは、「千葉県立犢橋(こてはし)高等学校」です。千葉市花見川区にある高校ですね。同級生にマツコ・デラックスさんがいた、という話はあまりにも有名です! マツコさんが語る当時のキムタク像も面白いですよね。(出典:yumeijinhensachi.com等)
  • 転校:東京都立代々木高等学校へ
    しかし、キムタクは中学3年生(1987年11月)の時にジャニーズ事務所に入所。翌1988年にはSMAPが結成されるなど、芸能活動がどんどん本格化していきます。そのため、犢橋(こてはし)高校に入学したものの、高校1年の途中で、芸能活動と学業を両立しやすい「東京都立代々木高校」(通信制課程などがある)に転校しました。(出典:yumeijinhensachi.com等)
  • 芸能界への道
    代々木高校に転校後も、SMAPとしての活動はますます多忙に。学業との両立は難しく、結局、高校は中退し、本格的に芸能活動に専念する道を選びます。そして、1991年のSMAPのCDデビューへと繋がっていくわけですね。

時系列まとめ(1972年~1989年頃)

キムタクの足跡を時系列で整理すると、こうなります。

  • 1972年11月13日:東京都調布市で出生。団地で幼少期を過ごす。
  • 1975年~1976年頃(3~4歳):大阪府箕面市に一時的に移住。
  • 1978年頃(6歳):千葉市美浜区(真砂・磯辺エリア)に引っ越し。
  • 1979年~1985年(小学校時代):千葉市立磯辺第二小学校に通学。
  • 1985年~1988年(中学校時代):千葉市立磯辺第一中学校に通学。
  • 1987年11月(中学3年):ジャニーズ事務所に入所。
  • 1988年(高校1年):千葉県立犢橋(こてはし)高等学校に入学。同年中に東京都立代々木高校に転校。
  • 1988年4月:SMAP結成。
  • 1989年頃:代々木高校を中退し、芸能活動に専念。

木村拓哉が意識する「ホームベース」はどこ?

さて、これだけ色々な場所で過ごしてきたキムタクですが、彼自身はどこを「ホーム」と感じているのでしょうか?

答えは、おそらく「調布市」と「千葉市美浜区(真砂・磯辺エリア)」の両方。でも、それぞれ彼にとって持つ意味合いが違うようです。

  • 調布市:「ルーツ」としての場所
    調布は、彼が「生まれた場所」。自身のラジオ番組などで「調布生まれ」と語る際には、どこか誇らしげな響きがあります。

    彼自身のアイデンティティの「始まりの場所」として、特別な意識を持っているのでしょう。「精神的な故郷」と言えるかもしれません。
  • 千葉市美浜区:「育ち」の場所、青春の基盤
    一方、小学校から中学卒業、そしてジャニーズ事務所に入るまでという、人格形成に最も影響のある時期の約9年間を過ごしたのが千葉市美浜区(真砂・磯辺)。ここはまさに「育ちの場所」であり、たくさんの思い出が詰まった「青春の基盤」と言えます。

    彼の話ぶりからは、特にこの千葉時代への温かい思い入れや愛着が強く感じられます。「実質的な故郷」はこちらなのかもしれませんね。

つまり、キムタクにとっての「ホーム」は、ルーツである調布と、青春時代を過ごした千葉(磯辺・真砂)という、2つの大切な場所で成り立っている、と考えられます。

芸能界で大成功を収めた今でも、これらの場所への想いは変わらないようです。

まとめ:木村拓哉の出身地と「ホームベース」

回は、国民的スター・木村拓哉さんの出身地と育ちの謎に迫りました!

調布出身で、一時的な大阪・箕面滞在を経て、小学校から中学時代は千葉市美浜区(真砂・磯辺)で過ごし、高校は千葉の犢橋(こてはし)高校から東京の代々木高校へ…という彼の足跡が明らかになりましたね。

「大阪出身?」や「調布のどこに住んでたの?」といった疑問も、これでスッキリしたのではないでしょうか。

そして、彼にとっての「ホーム」は、ルーツである調布と、青春の思い出が詰まった千葉(磯辺・真砂)。どちらも、今の木村拓哉さんを形作る上で欠かせない、大切な場所なんですね。

トップスターの意外な経歴や地元への想いを知ると、なんだかますます親近感が湧いてきませんか?

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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