元SMAPのメンバーであり、現在も俳優、歌手として日本のエンターテイメント界の頂点に君臨し続ける木村拓哉さん。
彼を「キムタク」の愛称で呼ばない人はいない、まさに時代のカリスマですよね。
でも、そんな彼がSMAPとして大ブレイクする直前、あの「キンちゃん」こと萩本欽一さんがプロデュースしたグループ『チャチャ(CHA-CHA)』に関わり、
『おいなりくん』という、なんとも可愛らしい(?)ニックネームで呼ばれていた時代があったことをご存知でしょうか?
今では想像もつかないような、キムタクの意外なキャリアのスタート地点。
今回は、この知られざる「チャチャ」時代と「おいなりくん」の謎について、詳しく見ていきましょう!
木村拓哉と「チャチャ」:レジェンド・萩本欽一との出会い

- 「チャチャ(CHA-CHA)」ってどんなグループ?
まず『チャチャ(CHA-CHA)』とは、1988年にデビューした男性アイドルグループ。その最大の特徴は、なんと言っても、あの大御所コメディアン・萩本欽一さんが全面的にプロデュースした点です。萩本さんが司会を務めていた日本テレビ系の番組『欽きらリン530!!』から誕生したグループなんですね。 - ジャニーズからも参加!混成グループ「チャチャ」
その前身となったのが、番組内のユニット『茶々隊(ちゃちゃたい)』でした。このプロジェクトの大きな特徴は、メンバーが様々な事務所から集められた混成チームだったことです。『チャチャ』として正式にデビューした時のメンバーを見てみると…
勝俣州和さん(元「劇男一世風靡」、浅井企画所属)
松原桃太郎さん(「欽塾」出身、浅井企画所属)
西尾拓美さん(劇団新人会)
木野正人さん(ジャニーズ事務所所属)
草彅 剛さん(ジャニーズ事務所所属)
中村亘利さん(ジャニーズ事務所所属)
このように、ジャニーズ事務所からも草彅剛さんをはじめ、複数のメンバーが参加していました。
キムタクも「茶々隊」の一員だった!

木村拓哉さんは、このデビュー前の『茶々隊』の時期に、一員として参加していたのです。
1987年11月にジャニーズ事務所に入所した直後、16歳くらいの頃でした。
つまり、キムタク一人だけがジャニーズからポンと参加したわけではなく、草彅さんなど他のメンバーも関わっていた、事務所としても繋がりがあったプロジェクトだったわけですね。
当時の映像などを見ると、後に『チャチャ』としてデビューする勝俣さんや、同じジャニーズのメンバーたちと一緒にレッスンを受けている姿が確認できます。
本人のYouTubeチャンネルでも、「ジャニーズに入った後、キンちゃん(萩本さん)の番組に出ることになって…」と当時を振り返っていました。(出典:木村拓哉YouTubeチャンネル 2023年3月4日配信回)
- 厳しいレッスンと離脱
ただ、萩本さんのレッスンは、萩本さん自身が「デビュー前は本当にイジメに近いぐらいレッスンさせた」と語るほど、非常に厳しかったようです。(出典:www.weblio.jp) 結局、キムタクはこの『茶々隊』を短期間で離れることになります。厳しいレッスン環境に加えて、後述するニックネームへの戸惑い、そしてちょうど同じ時期(1988年4月)にSMAPが結成され、ジャニーズとしての活動を優先したことなどが理由だったようです。
なぜ「おいなりくん」? キムタクのユニークな愛称の秘密

さて、そのキムタクが「茶々隊」にいた短い期間、萩本欽一さんから、なんともユニークなあだ名で呼ばれていました。それが…『おいなりくん』!
- 由来は「お母さんのおいなりさん」
なぜ『おいなりくん』なのでしょうか? ある記事によると、萩本さんに「好きな食べ物はなに?」と聞かれた当時16歳のキムタクが、「お母さんが作ったおいなりさん」と答えたからだそうです(笑)。なんとも微笑ましいエピソードですよね!この答えを聞いた萩本さんが、親しみを込めて「おいなりくん」と呼び始めたのだとか。(出典:Smart FLASH 2020年10月10日公開記事) - 当時の印象は「めっちゃ可愛かった」
萩本さん自身も後年、「おいなりくん、可愛かったんだよ」と懐かしそうに語っていますし(出典:アサ芸プラス 2015年4月13日公開記事)、当時一緒に活動していた勝俣州和さんも、テレビ番組で「木村君は『おいなりくん』って呼ばれてて、めっちゃ可愛かったよ。萩本さんにも気に入られてた」と証言しています。(出典:『ダウンタウンDX』2020年10月15日放送回) 当時のキムタクは、周りから見ても本当に素直で可愛らしい少年だったようです。 - 本人の戸惑いと離脱の一因?
ただ、キムタク本人にとっては、なぜ自分が「おいなりくん」なのか、その意味がよく分からず、少し困惑していたようです。先述の記事では、「自分が『おいなりくん』と呼ばれる意味がわからず、レッスンに行かなくなった」とも書かれており、もしかしたらこのニックネームへの違和感も、彼がグループを離れる一因になったのかもしれません。(出典:Smart FLASH 2020年10月10日公開記事)
まとめ:木村拓哉の知られざる「おいなりくん」時代
というわけで、木村拓哉さんがSMAPとして大ブレイクする前に、萩本欽一さんプロデュースの『チャチャ』の前身グループ「茶々隊」にほんの短期間参加し、『おいなりくん』と呼ばれていた、というお話でした。
- 参加経緯: ジャニーズ入所後、萩本さんの番組企画で「茶々隊」に参加。草彅剛さんなど他のジャニーズメンバーも関わるプロジェクトだった。
- ニックネーム: 好きな食べ物から萩本欽一さんが「おいなりくん」と命名。
- 離脱理由: 厳しいレッスン、ニックネームへの戸惑い、SMAP結成などが重なったため。
今の大スター木村拓哉さんの姿からは想像もつかないかもしれませんが、この「おいなりくん」としての経験も、彼の長いキャリアの中の、ほんのわずかな、しかし興味深い一コマだったと言えるでしょう。
レジェンド萩本欽一さんとの意外な接点、面白いエピソードですよね!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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