お笑いタレントや司会者として、現在の日本のテレビ界を牽引する有吉弘行さん。今や数多くの冠番組を持つ実力派MCですが、現在のような確固たる地位を築くまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでしたよね。
今回は、彼が芸能界へ足を踏み入れる「猿岩石結成・太田プロダクション所属」までを一区切りとし、その生い立ちや意外なルーツを、私、有為之おくやまの独自の視点も交えながら詳しくひも解いていきましょう。
広島県熊野町での生い立ちと家族構成|貧困を乗り越えた家族の絆

まずは、有吉弘行さんの生い立ちに関する基本情報を整理してみますね。
| 項目 | 詳細内容 |
|---|---|
| 本名 | 有吉 弘行(ありよし ひろいき) |
| 生年月日 | 1974年(昭和49年)5月31日 |
| 出身地 | 広島県安芸郡熊野町 |
| 家族構成 | 父、母、弟の4人家族 |
| 出身校 | 熊野町立熊野第一小学校・熊野町立熊野東中学校・広島県立熊野高等学校 |
有吉さんは、1974年5月31日に広島県安芸郡の熊野町で生まれました。「熊野筆」で全国的に有名なこの町は、田んぼに囲まれた自然豊かな場所です。
ご本人も過去のテレビ番組やラジオでたびたび語っている通り、ご実家は農家で、決して裕福な家庭環境ではありませんでした。当時のトイレについて「昔ながらのボットン便所だった」と回顧しています。
お父様は無職の時期が長く、麻雀が好きで家にいることが多かったのだとか。一方のお母様は、熊野筆の元職人として内職をこなし、近所のスーパーでも働いて懸命に家計を支えていたそうです。

一部メディアやご本人の発言によると、家族構成はご両親と4歳年下の弟さんの4人家族だそうです(弟さんは現在、広島市内で生花店を営まれているというお話です。また、お父様は2010年に他界されました)。
同じ庶民のおじさんとして、懸命に働くお母様と、少し自由奔放なお父様というご家庭の構図には、昭和のノスタルジーを感じずにはいられません。現在の有吉さんが持つ「人間の本質や現実を鋭く見つめる観察眼」は、こうした酸いも甘いも噛み分けるような家庭環境でこそ養われたのだと私は確信しています。
「ひろいき」という名前の由来|父親の酒癖がもたらしたハプニング

有吉さんの下の名前は、一般的な「ひろゆき」ではなく、正式には「ひろいき」と読みます。この一風変わった読み方には、お酒好きだったお父様のエピソードが関係しているんですよ。
ご本人がラジオ等で明かしたところによると、出生届を出しに行った際、酔っていたお父様が「ひろゆき」と書いたつもりが、役所の担当者に「ひろいき」と誤認されてしまったのだとか。驚くべきは、それを訂正せずにそのまま受理されてしまったという事実ですよね。
お父様自身は普段「ひろゆき」と呼んでいたそうで、有吉さん本人も「親父の酒癖の悪さで……」と今では笑い話に昇華しています。
現代の厳格な役所の手続きではちょっと考えられない、まさに「昭和ならではのハプニング」ではないでしょうか。普通なら親を恨んでもおかしくないエピソードですが、それを自身の「最高の持ちネタ」としてユーモアに変えてしまうあたり、幼い頃からすでに芸人としての資質が磨かれていたのだと感心させられますね。
小学校時代とお笑いへの目覚め|毒舌を支える広島弁のルーツ

地元の熊野町立熊野第一小学校に通っていた頃、有吉さんはクラスの人気者だったそうです。
彼がお笑いの道を志す決定的なきっかけとなったのは、小学3年生の時でした。特別カッコいいわけではないのに「面白いからモテる」同級生の姿を見て衝撃を受け、「自分もお笑いの道へ進もう」と決意したと語っています。本人が「人生をやり直すなら小学校から」と振り返るほど、この出来事は大きな原点になっているようです。
小学3年生にして「面白さ=モテる(ヒエラルキーの頂点に立てる)」という社会の構図を理解していた洞察力には、流石の一言に尽きます。
また、現在の彼の代名詞でもある「毒舌キャラ」を支えているのが、地元である「広島弁」です。「じゃ」「けぇのお」といった独特のイントネーションが、キツい言葉の中にもどこか親しみやすさや人間味を感じさせる大きな緩衝材になっていますよね。標準語であの毒舌を吐けばただの冷たい言葉になりかねませんが、広島弁の持つ温かみが絶妙なバランスを保ってくれているのだと私は見ています。
中学・高校時代の学生生活|部活動と熱狂的な広島東洋カープ愛

熊野東中学校へ進学すると野球部に入部し、スポーツに打ち込みました。のちに「猿岩石」を組むことになる森脇和成さんとは、この頃からの同級生です。当時は「女の子にモテたい」という純粋な思春期の衝動からお笑いへの興味をさらに深め、友人たちとネタ作りのような遊びも始めていたのだとか。
その後、広島県立熊野高等学校へ進学します。勉強よりもアルバイトに精を出し、稼いだお金で大好きな広島東洋カープの試合を年間30回以上も観戦するほどの熱狂的ファンでした。現在も度々口にする「アンチ巨人」という気質もこの頃に培われたそうです。
高校での部活は柔道部に所属していましたが、プロレス好きが高じて入部しただけで、あまり真剣には取り組んでいなかったと本人は述懐しています。
高校2年生になる頃には自らネタを作って演じるようになり、お笑いの世界へ飛び込む準備を本格的に進めていきました。自分の好きなこと(カープ観戦やお笑い)に対して、アルバイトをしてまで徹底的に時間と情熱を注ぎ込むその集中力は、現在の仕事に対するストイックな姿勢に通じるものがあるのではないでしょうか。
オール巨人への弟子入りから猿岩石結成までの軌跡

ここで、有吉さんが芸能界の門を叩いてから猿岩石を結成するまでの軌跡をタイムラインで整理してみましょう。
- 1974年(0歳):広島県熊野町にて誕生
- 1993年3月(18歳):高校在学中、番組企画でオール巨人師匠に弟子入り
- 1993年末頃(19歳):兄弟弟子とのトラブルで謹慎となり、無断で広島へ帰郷
- 1994年(20歳):地元の同級生・森脇和成を誘い「猿岩石」を結成
- 1994年(20歳):太田プロダクションのオーディションに合格しデビュー
高校在学中の1993年3月、テレビ番組『EXテレビ』の公開弟子審査会に見事合格し、あの厳しいことで知られるオール巨人師匠への弟子入りを果たしました。
ところが、この弟子入り生活はわずか8ヶ月で破綻してしまいます。一部報道や本人の回顧によると、兄弟弟子との喧嘩で相手に怪我を負わせてしまい、謹慎処分を受けたのち、そのまま無断で広島へ逃げ帰ってしまったのだそうです。
普通ならここで完全に心が折れ、芸能界を諦めてしまうところですよね。しかし、夢を諦めきれなかった彼は、地元で同級生の森脇さんを誘い、1994年にコンビ「猿岩石」を結成。再び上京し、太田プロダクションの新人オーディションに合格して正式にデビューを飾るのです。
一度大きな挫折を味わいながらも、地元の友人を巻き込んで「別のルート」から這い上がるこのバイタリティこそが、彼の最大の強みだと私は感じています。
まとめ|地に足のついた経験が有吉弘行の強さの源泉
有吉弘行さんの生い立ちを振り返ると、自然豊かな熊野町での暮らしや、貧しいながらも懸命に生きた家族の姿、そしてお酒好きのお父様が残した「ひろいき」という名前など、現在のユーモアの原石が至る所に転がっていますよね。
そして、若くして経験した名人のもとでの弟子入りと、手痛い挫折。華やかなテレビの裏側にある「地に足のついた泥臭い経験」こそが、彼が現在の芸能界で誰にも真似できない確固たるポジションを築き上げた最大の理由なのだと私は思わずにはいられません。
おくやまどうも、管理人の「有為之おくやま」です。 有吉さんの原点を色々と調べましたが…正直な本音を言わせてください。 「お父さん、酔っ払って息子の名前の読み方間違えて役所に登録されるって、いくらなんでも適当すぎませんか!?(笑)」 いや、今となっては最高の笑い話ですし、「ひろいき」という唯一無二の響きが結果的に芸人としては大正解だった気もしますが。でも、自分の親だったら一回はガチで文句を言っちゃいそうです(汗)。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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