頭がいいのになぜ?粗品が名門・同志社を中退した理由を徹底解説!

お笑いコンビ「霜降り明星」のツッコミ担当として知られる粗品さん。

鋭いワードセンスと独特の間で観客を魅了し、若くしてトップ芸人としての地位を確立されています。

さらに、ミュージシャン、司会者、YouTuberとしてもマルチに活躍し、その多才ぶりと唯一無二の個性で幅広い分野で注目を集める存在です。

そんな粗品さんですが、その経歴、特に学歴にも注目が集まっています。

彼は関西の名門私立大学である同志社大学に入学したものの、大学3年生の秋に中退するという道を選びました。

「頭がいい」というイメージも強く、実際にクイズ番組などでもその片鱗を見せる彼が、なぜ学業半ばで芸の道一本に絞る決断をされたのでしょうか。

その理由と背景を、調査・分析しました。

目次

粗品さんの学歴:名門・同志社大学への道

粗品さんは1993年1月7日生まれ、大阪府大阪市福島区のご出身。

中学受験を経て、関西でも屈指の難関校とされる同志社国際中学校に合格。

そのまま内部進学で同志社国際高等学校へ進まれました。高校時代には韓国への短期留学も経験され、英語や韓国語にも触れるなど、国際的な視野も持っていたようです。

そして2011年、同志社大学文学部国文学科に内部進学で入学されます。偏差値65前後とされるこの学部は、関西の私立大学文学部の中でもトップクラスの難易度を誇ります。

彼の輝かしい学歴からは、元々高い知性と真面目な努力家としての一面がうかがえます。

実際、テレビ番組『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』(2024年4月12日放送)に出演した際には、「僕なんか中学受験ですから。当時偏差値70くらいです」と自ら語り、共演者を驚かせる場面もありました。

また、『オールスター感謝祭』のミニマラソンだけでなく、クイズコーナーでも複数回優勝するなど、クイズ番組でもその明晰な頭脳を証明しています。

これほど「頭がいい」彼が、なぜ大学を中退されたのでしょうか。

中退の決定的な理由?:学部長との衝突エピソード

粗品さんが同志社大学を中退した理由として、最もよく語られているのが、文学部の学部長(当時)との間にあったとされるエピソードです。

彼は大学1年生の頃に吉本興業のオーディションに合格し、芸人としての活動を本格化させていました。

しかし、当然ながら学業と芸人活動の両立は容易ではなく、テストの日と仕事が重なってしまった場合の対応策を模索していました。

そこで、大学3年生の秋、学部で最も権威のある教授、すなわち学部長に相談を持ちかけました。

2021年8月13日のYouTubeチャンネル『しもふりチューブ』や、2022年5月6日放送のラジオ番組『霜降り明星のオールナイトニッポン』で粗品さんご本人が明かした内容によると、

彼は学部長に対し「テストの日に仕事が被ってしまった場合、追試などの救済措置はあるのでしょうか」と尋ねるとともに、「芸人になる」という決意を打ち明けました。

しかし、学部長からの反応は予期せぬものだったようです。

「なに?君」「(芸人なんて)売れるわけないやん」「(芸名は何て名前でやってるの?)何て名前でやってんの?」と、夢を応援するどころか、冷たくあしらわれるような言葉を浴びせられたといいます。

そして、芸名である「粗品です」と答えた際には、さらに「めっちゃ恥かかされて」と感じさせるような対応を受けたそうです。

この言葉と対応に深く傷ついた粗品さんは、「それで辞めるってなったんです。それで腹立ってんねん」と当時を振り返っています。

この出来事が、大学中退の直接的な引き金となったようです。

彼にとって、人生を賭けて目指す芸人としての夢を真っ向から否定されたことは、単なる意見の相違を超えた、大きな屈辱として受け止められたのでしょう。

その日の勢いで退学を決意したというこの出来事は、彼の人生における大きな転換点となりました。

中退に至る背景:お笑いへの情熱と両立の現実

学部長との衝突が決定的な引き金だったとはいえ、大学中退という大きな決断に至るまでには、他にもいくつかの要因が絡んでいたと考えられます。

  • お笑いへの強い情熱:
    • 粗品さんは高校時代からお笑いの世界にのめり込み、「スペード」というコンビで『ハイスクールマンザイ』大阪大会優勝(2009年)、高校3年生でピン芸人として『R-1ぐらんぷり』2回戦進出(2010年)、さらには『オールザッツ漫才 FootCutバトル』で史上最年少優勝(2011年)を果たすなど、アマチュア時代から非凡な才能を発揮されていました。

      大学1年生で吉本興業入りした後も、芸人としての活動に真剣に取り組んでおり、学業を続けることよりも、一日も早くお笑いの世界で成功したいという強い思いがあったようです。
  • 学業との両立の難しさ:
    • 大学在学中、芸人としての仕事が徐々に忙しくなるにつれて、授業への出席や単位取得といった学業との両立が、現実的に困難になっていきました。1年間の休学も経験されましたが、状況は好転せず、追試などの柔軟な対応を大学側に求めたものの、前述したような学部長の反応に直面することになります。

      彼は後に「勉強が嫌いでやめたわけじゃない。同志社が嫌いやからやめた」とも語っており、学業そのものへの意欲が失せたわけではなく、芸人活動に対する大学側の環境やサポート体制に不満を感じていたことがうかがえます。
  • 家族への思いと葛藤:
    • 粗品さんのご実家は大阪・心斎橋で焼肉店「味希」を営んでおり、お父様が亡くなった後は、お母様が一人で店を切り盛りされていました。一人っ子である彼は、お母様を楽にさせたいという気持ちが人一倍強く、芸人として成功することへの強い動機にもなっていました。

      しかし、大学中退を決めた際には、「母ちゃんが結構悲しそうにしてた」とも述べており、名門大学へ進学した息子への母親の期待と、自身の夢との間で葛藤があったことも明らかになっています。

同志社への複雑な感情と校風への違和感

粗品さんは母校である同志社大学に対して、やや複雑な感情を抱いているようです。

2021年8月13日の『しもふりチューブ』では、「同志社は『個性大事にしようぜ。自由で、みたいな校風』。それでイキってるヤツ多くてキライ」と、苦笑いを浮かべながら語る場面がありました。

また、「次に大学に入るとすれば近大(相方・せいやさんの母校である近畿大学)に入ります」といった発言もあり、同志社への強い愛着は薄いことを示唆しています。

こうした校風への違和感や不満が、学部長との一件と相まって、大学中退という決断を後押しした可能性も考えられます。

彼にとって、自由な個性を尊重するはずの同志社の校風と、自身の夢(芸人活動)を認めようとしない硬直的な大学側の対応とが、矛盾しているように映ったのかもしれません。

この感情は、後に「同志社からの仕事が来ない」といった、冗談めかした彼の発言にもつながっており、大学との間に生まれた距離感を象徴していると言えるでしょう。

中退後の輝かしい成功:「決断は正しかった」証明

大学中退後、粗品さんは2012年に現在の相方・せいやさんと「霜降り明星」を結成。そこからの快進撃は周知の通りです。

2017年に『ABCお笑いグランプリ』で優勝すると、翌2018年には漫才の頂点『M-1グランプリ』で史上最年少優勝。

さらに2019年にはピン芸人としても『R-1グランプリ』を制覇(M-1との二冠は史上初)するなど、次々と大きな結果を残されました。

現在では、コンビとしての活動はもちろん、個人としてもYouTubeチャンネル『粗品 Official Channel』が登録者数100万人を超える人気を集め、独特の切り口で行う競馬予想や、プロ顔負けの音楽活動(作詞・作曲・ボーカル・ギター)でも独自の存在感を発揮されています。

これらの目覚ましい成功は、彼が学業の道を断ち、お笑い一本に人生を賭けた大学中退という決断が、結果的に正しかったことを証明していると言えるでしょう。

特に『M-1』優勝後のインタビューで、賞金の使い道について聞かれた際に「お母ちゃんが欲しがってた物を10個買いたい」と答えた姿は、彼の母親への深い思いと、成功への強い執念を象徴するエピソードと言えます。

かつて学部長に「売れるわけない」と言われた悔しさをバネに、彼は見事に大舞台で輝かれたのです。

分析:粗品はなぜ中退を選んだのか?

粗品さんが名門・同志社大学を中退した理由と背景を総合的に分析すると、以下のポイントが考えられます。

  • 夢への確信とプライド: 高校時代からお笑いの世界で実績を積み、大学1年でプロの世界(吉本興業)に入った彼は、芸人として成功する未来に強い確信を持っていたのでしょう。学部長からの否定的な言葉は、その信念を揺るがすどころか、むしろ彼のプライドを刺激し、決意をより固めるきっかけとなったのではないでしょうか。
  • 環境への不満と見切り: 学業と芸人活動の両立を目指す中で、大学側の柔軟なサポートが得られないと感じ、自由を標榜する同志社の校風や対応に失望した面もあるようです。ここで見切りをつけ、より夢に集中できる環境を選ぶという判断に至ったと考えられます。
  • 「頭がいい」ゆえの実行力と覚悟: 彼の「頭がいい」と言われる所以は、単なる学力だけでなく、状況を判断し、大胆な決断を下せる実行力にもあるのかもしれません。大学中退は、自ら退路を断ち、お笑いの道に全てを賭けるという、強い覚悟の表れと言えます。
  • 感情の大きな影響: 理性的な判断だけでなく、学部長との衝突によって引き起こされた怒りや屈辱といった強い感情が、即座の中退決断を促した側面も否定できないでしょう。

彼の持つ知性や計画性、そして感情をエネルギーに変える性格を考えると、中途半端な状態を続けるよりも、退路を断って一つの道を極めるという選択は、彼らしい決断だったと言えるのかもしれません。

まとめ:中退は粗品さんの「らしさ」が凝縮された決断

粗品さんが同志社大学を中退したのは、単に学業とお笑いの両立が困難だったから、という単純な理由だけではないようです。

学部長との衝突という出来事を直接的なきっかけとしながらも、そこには彼自身の芸人としての成功への強い情熱と確信、大学の環境や対応への不満、そして家族への思いなどが複雑に絡み合い、「芸人・粗品として生きる」という強い決断に至っと思います。

その背景には、彼の明晰さゆえの状況判断と、強い感情を原動力に変えることができる彼のパーソナリティがあったのでしょう。

結果として、彼は大学中退という大きなリスクを、その後の目覚ましい成功によって乗り越え、現在ではお笑い界にとどまらず、音楽やYouTubeなど、様々な分野で唯一無二の存在感を放つマルチタレントへと成長されました。

同志社を去った日から現在に至るまでの軌跡は、粗品さんが自らの力で道を切り開き、逆境さえも成功の糧に変えることができる人物であることを物語っています。

今後も彼の多岐にわたる活躍から目が離せませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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