テレビで見ない日はないほどの大活躍を続ける、お笑いコンビ「タイムマシーン3号」。
そのボケ担当であり、キレのある動きと愛嬌たっぷりの笑顔で私たちを楽しませてくれるのが関太さんですよね。
いつもニコニコとお茶の間に笑いを届けてくれる関さんですが、その背景には驚くほど自然豊かな群馬の山奥での暮らしがありました。
あの親しみやすいキャラクターや立派な体格は、決して一朝一夕に作られたものではないのです。
今回は、関さんがどのような環境で育ち、いかにしてお笑いの道を切り開いてきたのか、その足跡を一緒にたどってみましょう。
知れば知るほど、テレビの向こうで笑う関さんの姿がもっと愛おしく感じられるかもしれませんよ。
群馬の秘境が育んだ規格外のルーツと日常

1979年8月5日生まれの関太さん(本名:関 智大さん)の物語は、群馬県吾妻郡中之条町(旧六合村)という美しい里山から始まります。
当時の地元は信号機すら珍しいほどの自然に囲まれており、住民同士がみんな顔見知りという濃密なコミュニティだったそうです。
そんな環境で育った関さんは、テレビ番組で「村の星のような存在だった」とご自身を振り返るほど、目立つ少年でした。
そんな大自然ならではの、ちょっと規格外なエピソードがあります。
なんと、おじいさまが山で捕まえてきた動物が、国の特別天然記念物である「ニホンカモシカ」だったというのです。

都会の暮らしでは想像もつかないようなスケールの大きな日常が、そこにはありました。
ルールや常識の枠に収まらない大自然の息吹を肌で感じて育ったからこそ、関さんのあの包み込むようなおおらかさが培われたのでしょう。
小さな枠組みにとらわれず、どんな状況でも笑いに変えてしまえる器の大きさは、この群馬の山々が教えてくれた大切な財産なのかもしれませんね。
家族との知能戦?温かな関係性が生む「毒のない笑い」

関さんのご実家は、祖父とご両親、そして弟さん、妹さんを合わせた6人家族だったとされています。
ご本人のブログやラジオからも、ご家族との仲睦まじい様子がたびたび語られてきました。
とくに妹さんに対しては、幼い頃からちょっとした頭脳戦を仕掛けていたそうです。
- 巧みな言葉で妹を乗せ、流行の「ビックリマンシール」を買わせる
- ゲーム『ストリートファイターII』で、自分だけこっそりレベルを上げて勝利する
- 妹が作ったラーメンを大げさに褒めて、気持ちよく料理をさせる
どれもクスッと笑ってしまうような、兄妹ならではの微笑ましい駆け引きですよね。
また、弟さんについては「僕は父親似、弟は母親似」と語られており、以前ラジオで共演された際のお写真からも、ご兄弟そろっての優しげな雰囲気が伝わってきました。
日常の中にちょっとしたユーモアを混ぜ込みながら、誰も本当の意味では傷つけない。
そんなご家族との温かいコミュニケーションの積み重ねが、現在の関さんが得意とする「平和で誰もが笑えるネタ」の根底に流れているのを感じます。
人を笑顔にするための小さな工夫は、すでにこの頃から始まっていたのですね。
驚異の食欲と上京、「余り物」からのコンビ結成

地元の群馬県立中之条高等学校(現・吾妻中央高等学校)に進んだ関さんは、ソフトテニスやスキー、ダーツを得意とするスポーツマンの一面を見せます。
あのぽっちゃりとした体型からは意外に思われるかもしれませんが、ネタ中の軽快な動きを見れば、その高い運動神経にも納得がいきますよね。
そして、身長163cm・体重115kgというトレードマークの体格を形作ったのは、学生時代からの「1食にご飯を3合食べる」という凄まじい食欲でした。

年間350〜400冊もの漫画を読み込む趣味もこの時期に培われたそうで、豊富な知識と強靭な胃袋が同時に作られていた時期と言えます。
高校卒業後は大学へは進まず、テレビの世界に憧れて「東京アナウンス学院」のお笑い専門コースへ入学しました。
そこで待っていたのが、のちの相方となる新潟県出身の山本浩司さんとの出会いでした。
華々しい運命の出会いかと思いきや、実はクラスで誰とも組めなかった「余り物同士」として、2000年4月に単位のために仕方なく組んだのが始まりだったのです。

コンビ名も、山本さんが名付けた「タイムマシーン」に、関さんの食べるご飯の量と当時の出席番号から「3号」を足して完成しました。
芸名の「関太」についても、先輩芸人のハチミツ二郎さん(東京ダイナマイト)からの提案で、どっしりとした体格に合わせて本名の智大から改名したそうです。
振り返ってみると、成り行きや周囲からの声に逆らわず、それを柔軟に受け入れる姿勢が印象的ですよね。
自分を無理に飾らず、流れに身を任せながらも、与えられた場所で最大のユーモアを発揮する。
そんな関さんの素直な人間力が、山本さんという最高のパートナーを引き寄せ、芸人としての確固たるキャラクターを完成させたのだと感じます。
遅咲きだからこそ強い!現代に響く圧倒的な愛され力

デビュー後、NHK『爆笑オンエアバトル』などで早くから実力を見せつつも、大ブレイクまでには少しの時間を要しました。
2005年のM-1グランプリで決勝7位という結果を残してからも地道な活動を続け、2013年の太田プロダクション移籍を経て、2015年のM-1で4位、2016年のキングオブコントで4位と、漫才とコントの二刀流で確かな実力を証明してきました。
そして現在、関さんの勢いは止まりません。
2024年から2025年にかけての年末年始番組出演ランキングで上位に食い込み、YouTubeチャンネルの登録者数は110万人を突破し、総再生回数は8億回を超えています。

ご本人は「自分たちは客受けは良いけど、芸人受けはしないタイプ」と謙遜気味に語ることもあります。
ですが、誰もが理解しやすく、決して人を貶めない安心感のある笑いは、今の時代が最も求めているものですよね。
長い下積み時代にくさることなく、愚直に自分たちのスタイルを磨き続けてきたからこそ、どんな世代にも響く「本物の愛され力」を手に入れたのではないでしょうか。
焦らずにじっくりと大輪の花を咲かせる姿は、多くの人に勇気を与えてくれます。
まとめ:群馬の自然が育んだ、みんなに愛される太陽
ここまで、タイムマシーン3号・関太さんの歩んできた道を振り返ってきました。
- 豊かな自然とユニークなおじいさまの背中を見て育った幼少期
- ご家族との温かなやり取りの中で培われたユーモアのセンス
- 上京後の運命的な出会いと、柔軟な心で受け入れた自分のキャラクター
- 賞レースでの悔しさをバネに、テレビやYouTubeで大輪の花を咲かせた現在
中之条町の観光大使としても活躍し、地元群馬を大切に盛り上げ続けている関さん。
そのブレイクの裏には、決して飾らない素顔と、長い年月をかけてじっくりと育んできた確かな実力がありました。
もしテレビや動画で関さんの姿を見かけたら、そのおおらかな笑顔の向こうにある、群馬の美しい山々や温かいご家族の存在を思い出してみてください。
きっとこれまで以上に、その笑いが心にじんわりと響いてくることでしょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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